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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

カテゴリー「経済」の記事一覧

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金融危機とドイツ政府の対応(3)

 EU全体としての方針、とりわけ景気対策に関しては12月半ばのEU首脳会議で大枠が定められたわけだが、その過程は決して平坦なものではなかった。とりわけ財政出動をめぐるドイツの消極的姿勢が英仏との溝を深めた。

2ec58a5f.jpeg 大規模な財政出動と減税を掲げるブラウン英首相に対し、シュタインブリュック財務大臣は「過激派ケインジアン」と強く非難し、メルケル首相もそれに同調した。これが災いしてか、EU首脳会議の直前にロンドンで開かれた英、仏、EUの協議に域内最大の経済規模を誇るドイツが招かれないという事態が生じた。EUの主要政策の方向付けをめぐりドイツが孤立した観が強くなったのである。(左は財相時代のブラウン首相とシュタイブリュック財務大臣。)

 しかし本番の会議の場ではメルケル首相が巻き返した。東欧を中心とした他のE23261438.jpegU参加国の同意を取り付け、英仏の大規模財政出動路線に歯止めをかけることに成功したのである。最終的にEU域内で総額2000億ユーロ(GDPの1.5%に相当)の財政出動を、各国が独自の政策によって履行すべきことが決定されたが、これは結果的に当初英仏が予定した規模よりも大きく後退したものであった。またフランスが画策した消費税減税の義務付けもドイツの強い反対で失敗に終わった。

 EUが統一市場であることを想起すれば財政政策においても共同歩調を取る必要があるのは当然と言えば当然なのだが、今回の金融危機では改めてEUという政治空間がその存在感をいやが上にも増していることを感じさせられた。

 ところでこうしたドイツの強硬姿勢を巡り、著名な米経済学者のP.クルーグマンは「失望」「愚か者」「石頭」などと厳しく同国を批判して物議を醸した。なぜドイツは国際的孤立の危機を冒して強硬に大規模財政出動や減税に反対したのだろうか。これを理解する一つのカギはドイツ経済の高い対外貿易依存度にある。これが第三のポイントである。
 
 ちなみによく誤解されているが日本は決して貿易依存型の経済構造ではなく、他の先進国と比べると対GDP貿易依存度は28%と低い。「貿易国家日本」のイメージはエネルギーや食糧といった特定の(戦略的な)輸入分野における高い依存から派生したもので、実は先進国の中でもかなり閉鎖的な内需依存経済なのである。

 対してドイツは正真正銘の外需依存国で、貿易依存度は70%、輸出依存度は実に38%にのぼる。EUという共通市場の存在を考えれば当たり前かもしれないが、ドイツは日本よりもずっと深く国際経済に組み込まれており、結果として単独でのケインズ的財政出動はその効果が大きく減殺されてしまう。例えば消費者がドイツ以外の生産国の商品を購入すれば財政出動の波及的効果は容易に失われる。逆にドイツ自身が財政出動をしなくても、貿易相手国が消費刺激策を取ってくれれば、海外の消費者がドイツ製品を購入する可能性が高まり、ドイツ企業がおこぼれに預かる事ができる。従って自ら積極的にイニシアティヴをとって財政出動を行うよりも他の主要国の政策と規模と効果を見極めた方が合理的で経済的という側面がある。典型的な「囚人のジレンマ」的状況である。

 もっともさすがに高まる内外の批判に無頓着ではいられなかったようで、EU首脳会議の直後、ドイツ政府は改めて第二次景気対策をとりまとめることを発表し、先週大連立内での合意に達した。2年間で総額500億ユーロにのぼるこの大型景気対策ではインフラ整備にならび、減税や社会保険料の引き下げ、児童手当の一律給付などが大きな割合を占めている。
 英仏との激しい対立を想起すると、ドイツ政府とメルケル首相のスタンスがわずか一か月あまりでかなりぐらついていることが分かる。英仏と裏で何か申し合わせがあったのか、世論調査でより大規模な景気対策を望む声が日増しに高まっているからか、メルケル首相の「変心」の真の原因はいまいちよく分からない。

 以上のように金融危機への迅速な対応に比して、景気対策の方は迷走している観が強い。厳しい利害調整を経て鳴りもの入りで発表された第二次景気対策の評判は芳しくなく、専門家からは「無駄使い」「寄せ集め」との批判が噴出している。

 中小企業対策や自動車減税が中心だった第一次景気対策(2年間で320億ユkonjunktur-merkel-steinmeier-seehofer-11245600-465x262.jpgーロ、11月初旬に発表)に比べ、第二次景気対策がケインズ的な有効需要創出よりも全国民に向けた不況下の社会政策的な性格が色濃くなっているのは、今年2009年が「スーパー選挙年(Superwahljahr)」であることと無関係ではないだろう。税金のバラまきが政争の具になるのは洋の東西を問わない。(は合意に喜ぶCDU、CSU、SPD三党の代表。)
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金融危機とドイツ政府の対応(2)

 第二に興味深いのは連邦政府と州政府、そしてEUとの関係である。

 現代のドイツ政治の特徴としてその多次元構造(Mehrebenensystem)がしばしば指摘される。ごく単純化して言えば「現在のドイツ政治は連邦政府に加え、それ以外の次元(具体的には州とEU)の立法・行政主体の意図と行動が複雑に絡まり合う中で紡ぎだされる産物である」といったところか。

290px-Bundesrat-A.jpg連邦制国家であるドイツには16の州が存在する。それぞれが独自の憲法と内閣を持ち、立法・行政双方においてかなりの独自性を持ち、州政府と連邦政府の利害調整はあらゆる政策において常に避けられない焦点となっている。とりわけ行政分野の細分化・専門化とともに州政府と連邦政府の役割分担は極めて複雑かつ不透明なものになっているので、現在では多くの法律が「州関連事項」として連邦参議院(Bundesrat、左)による可決を要するのが通例である。 

 ちなみにこの連邦参議院は正確には「議院」ではなく(個人的には誤訳ではと思っている)、州政府から派遣された各州の代表者が連邦議会で採決された州関連事項を含む法案の採決を行う、いわば非公選の補助的な立法機関である。各州の規模や重要度を勘案して票数が割り当てられている。

 今回の金融危機に際して連邦政府が主導した様々な救済法案も、当然ながら州merkel444_v-mittel4x3.jpgに関わる事項を多数含んでいたために、各州との利害調整が一つの焦点となった。10月の金融機関救済法案に際しては、4800億ユーロの準備金の負担割り当て(連邦65%、州35%)、救済措置発動後に発生する利益損失勘定の負担割合、意思決定への参加をめぐって連邦と州の対立が先鋭化し、連邦参議院での採決を前にしてメルケル首相自ら裁定に動き出す一幕があった(右は調停後に記者会見を行うメルケル首相とヘッセン州ローランド・コッホ首相。)。

 さらに12月に成立した景気対策のための歳出法案に際しても同じく財政負担の分担(州61%、連邦39%)について州側からの不満が噴出し、連邦参議院での否決が危ぶまれる場面があった。 

 EUに関しては加盟国において今やEUの関与がない行政領域は存在しないという様相を呈している。以前触れたことのある通り、現在のEUは事実上独自の立法機能を有しており、それは加盟国内において置換立法なしに直接効を有する。加えてEUの中核的機関であるEU委員会は加盟国政府の動向がEU条約・法に違反していないかどうかを監視しており、しばしば名指しで加盟国政府に「指令」を出すことで状況の改善を求めることがある。

 今回の金融救済法案に関してもベルリンとブリュッセルの間でひと悶着があった。同法案の適用を申請したコメルツバンク(Commerzbank、ドイツ第二位の銀行)に対し、連邦政府が利率5.5%-8.5%で総額82億ユーロの資金提供を行う旨決定したところ、EU委員会から「この利率の低さはEUの市場競争原則に反する可能性がある。」との指摘がなされた。そもそも委員会はこの金融救済法案そのものを審査した上でゴーサインを出していたので、当然ドイツ側は「話が違う」と反発する。11月の初旬からくすぶり始めたこの問題、原因は金融救済法案の細目に関する認識の相違ということだったらしいが、最終的に12月頭にEU側が利子率基準を緩和することで妥協が成立した。実に一か月に渡って救済案が棚上げにされていたわけで、EU委員会の影響力を感じさせるには十分の出来事だった。

38381-Sarkozy.jpg もちろん、今回のように大きな危機に際してはこうした個別案件の細目事項のみが問題になるわけではなく、トップレベルでの首脳会議を通じたEU全体としての方針が大所高所から議論される。現在のEU議長はフランスが務めているが、金融危機以降サルコジ大統領がEU代表の立場で紙上を賑わすことが多い。


金融危機とドイツ政府の対応(1)

 早くも年の瀬だが、この夏以降のドイツ最大のニュースは、やはり何と言っても金融危機関連の話題であった。まだまだ学生風情が不景気を体感できるほど深刻化化しているわけではないが、メディアの報道という点で0ef75795.jpegは今回の景気悪化に対するドイツ官民の危機感は極めて強いように見える。10月にかけて米国への投資を焦げ付かせて支払不能の危機に瀕している金融機関が徐々に顕在化し、11月に入る頃になるとドイツの誇りたる自動車産業を中心に、実体経済においても大企業の経営難現実のものになり始めた。今回の危機を「戦後最大の不況」と称する専門家も出てきており、先行きの見通しは暗い。こうした苦境に対するドイツ政府の対応は多岐にわたるが、ここでは個々の政策の詳細に立ち入ることはせず、この国の経済及び経済政策の特徴を理解する上で興味深いと思われる点をいくつか取り上げてみたい。

 まず第一に、ドイツも他の大陸欧州の諸国家の例に違わず、今回の危機に際して基本的に「政府の市場へのb198da01.jpeg介入」という行為に対する本能的な躊躇というものがあまり感じられない、ということである。第二次大戦後のアデナウアー政権で長期にわたり経済大臣をつとめ、
ドイツの戦後復興を軌道に乗せたルートヴィッヒ・エアハルト(Ludwig Wilhelm Erhard、のち連邦首相。右) という人物がいる。彼は日本で言えばさながら池田勇人といったイメージの人物だが、このエアハルトが提唱したとされる「社会的市場経済(Sozialmarktwirtschaft)」という経済概念が、現在に至るまでいわばドイツの経済政策上の国是として引き継がれてきている。内容自体は別段特殊なものではなく、市場万能主義と管理経済の中間を目指すという、現代の言葉で言うところの「第三の道」的な経済政策と考えてよい。ただ私の見る限り、「政府の市場介入は当然」という側面ばかりが独り歩きして、市場介入が自由市場の効率性をどれくらい侵害するのかを入念に検討するといった、デリケートな議論はあまりなされていない。

 とりわけ実際の施策で特徴的なのは「雇用の安定」や「失業対策」に対する敏感さである。ドイツでは労働組合が現在でも非常に強力な力を誇っていることは以前紹介したが、経済政策を語る際、政治家やマスコミが第一に強調するのは「ドイツ人の職を守る」ことで、経済成長や内需拡大といった政策目標は、少なくともレトリックの面ではやや優先度が落ちるようである。こと雇用の話になると政府は成り振り構わずかなり個別具体的なレベルにまで市場に介入していくのがドイツ流である。

 この「社会経済市場経済」の理念は今回の危機でも強調され、「英米流の市場万能主義の限界が明らかになった。我々が戦後60年間守り通してきた路線の正しさが証明された。」という、日本でも何となくあるようなアメリカ流の市場主義に対するルサンチマン、「ザマアミロ」といった感じの論調は、特に秋口あたりによくお目にかかったように記憶している。いざ実際に不況が国内に浸透してくると、さすがにそんなことで溜飲を下げている余裕はなくなったようだが。

 ともかくもドイツは今回の金融危機に対して最も早期かつ大胆に市場介入した国
hypo.jpgの一つである。10月はじめには「ドイツ国民の全預金の保証」を宣言し、翌週には準備額およそ4800億ユーロに上る金融機関救済法案を可決し、国民の不安の解消と危機の鎮静化に努めている。事情は大幅に異なるとは言え、日本政府が小泉政権の登場まで10年の長きにわたり思いきった金融機関への公的資金注入に踏み切れなかった事を考えると、経済政策上必要と判断すれば国民の税金を民間金融の救済のために質に入れることにも全く躊躇しない、ドイツ政府首脳の決断力と実行力には、目を見張るものがあると言わざるを得ない。(左は金融危機対策を発表するメルケル首相とシュタインブリュック(Steinbrück)財務大臣。)


労働者の国(5)

 これらの事件を考えるうち、私は「雇用や賃金は企業から提供されるもの(少なくとも、企業が主導するもの)」と無意識に頭のどこかで考えていた自分に気がついた。そういう観念は少なくともこの国ではあまり一般的ではないらしい。

 職と報酬は揺るぎなき「権利」であり、それを制限したり剥奪したりする企業は社会的に非難され制裁を受けてしかるべきだという考え方、それがどうもドイツ流の職業観であるように思える。さらに言えば、こちらでは企業=経営者というニュアンスが非常に強く、労働者の企業への帰属心が想像以上に希薄なのではないかと感じた。ここでは労働者は労働者としての権利の上に座す自律的存在となり、むしろ同じ権利を束として交渉力を増すために横に連帯するわけである。

 普通、企業が労使を包摂する概念と捉えられる日本とは、この点どうも感覚的な違いがあるように思われる。日本の労働者が労使交渉に際して自社製品をゴミ箱に捨ててアピールする姿などは想像しにくい。
 
 さらに印象的なのはこうした労使紛争に際して政治のハイレベルでの介入が目立つことである。日本では責任ある政治家が特定企業製品のボイコットを国民に呼びかけるなど、想像を絶する光景であろう。これは現在の大連立与党の一角、SPD(社会民主党)が労働組合と極めて密接な関係にあることと無縁ではないだろうが、こうした状況下で政府の市場介入への躊躇が全くないことは、底流に流れる経済政策思想の根本的な相違が浮き出ているように思えて興味深い。
 
 過酷な労働条件や失業の危機に直面して、抵抗、反対運動が生じるのは洋の東西を問わずごく当然のことである。ただその手法や展開には各々の労働観が否応なく示されるものだと思う。日本では久しく労働紛争が巷間を賑わすことはない。労使の問題は共同体としての企業の内部で協調的に、暗黙的に解決される。そういう擬制がかなりのところまで通用している。「はじめに企業ありき」であって「はじめに権利ありき」ではない。

 その点、ドイツは何と言ってもマルクスの故郷である。いやむしろドイツの特殊性というよりも、権利が権利としてひとり立ちせずに企業社会にくるまれてしまっている日本社会のあり方のほうが、先進資本主義国の中では際立って特殊なのかも知れない。

労働者の国(4)~NOKIAの工場閉鎖

50361596_14230427_slide.jpg  今回の移転で職を失うとされる労働者はおよそ2000人に上るという。政治家は自治体レベルから連邦政府まで一斉にNOKIAを批判した。
 中でもSPD(社会民主党)党首のKurt Beck(左)は「あからさまな詐欺だ」と厳しく批判し、「ドイツには8200万人の消費者がいる」と半ば恫喝気味に決定撤回を要求した。Merkel首相も即座にNOKIAに話し合いを呼びかけ、労働者側を支援することを明言した。さらに一部の政治家はNOKIA製の携帯の使用をとりやめ、なんとNOKIA製品のボイコットを国民に呼びかけた。

 寡聞にして日本で似たような事例を聞いたことはないが、2000人規模の工場の移転、それも外資企業の撤退に際しこれだけの規模で政治的な反応があることはまずないと思う。この国の政治家たちの失業問題に対する敏感な感性がうかがい知れる。

nokia3-artikel.jpg 発表数日後からBochumでの大規模なデモ活動が連日のようにメディアを賑わした。NOKIA従業員のみならず、地元Bochum市民や各地から労働組合員が集まり、その数は2万人にのぼった。
 「NOKIAはBohumに残れ!(NOKIA Bochum muss bleiben!)」との垂れ幕を掲げた労働者たちが工場前に集結して気勢をあげ、NOKIA製品のボイコットを呼びかける。パフォーマンスの一角として、NOKIAの文字NOKIA.jpgの入った棺桶が葬送されたり、携帯がゴミ箱に投げ捨てられたりした。
 余談だが、2月上旬、世相を風刺した山車を出すことで有名なケルンのカーニバルでは、NOKIA携帯の形をした刃物に背後から串刺しにされた人形が練り歩いた。



 報道によればNOKIAは前期は過去最高益を叩きだしており、経営難に陥っているわけではない。純企業戦略的な理由ということになるが、これがまた各方面の反発を高めているようである。
 2月20日現在、連邦政府の働きかけやボイコット運動にも関わらず、NOKIAは頑なな態度を崩していない。撤退やむなしの空気の中、議論の焦点は撤退時期の延長、NOKIAが90年代に州政府から受給していた補助金の返還、移転により職を失う労働者の再就職対策や補償に移りつつある。


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自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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[02/16 einjapaner]
[02/09 支那通見習]
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