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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

カテゴリー「政治」の記事一覧

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ベルリンと米国~Bei Gelegenheit von Obamas Berliner Rede(5)

ROSPANZ20080300001-312.jpg ただ一晩明けてスピーチの内容を吟味したドイツメディアの報道は、案外に皮肉っぽいものが多い。その多くはオバマ演説の「責任の共有」の下り―とりわけアフガニスタンへのドイツ国防軍増派要請を警戒して―に神経を尖らせていた。
 またSpiegel誌のオンライン記事によれば、オバマ氏の周囲には常に米国メディアが貼り付いており、ドイツメディアに対する扱いが非常にぞんざいであったらしい。今回のオバマ氏の訪欧の第一目的が何より米国内向けに国際人としての箔付けをすることであったことを考えれば、米国メディアへの対応が最優先されたのは無理のないことだが、そうした態度は当然ながらドイツ人記者には不満だったのだろう。批判的な論調の背景にはそうした事情も幾分か反映されているように思う。(左はSpiegel紙の表紙。)
 
 ただメディアの醒めた反応の根底にはベルリンという街を取り巻く状況の変化があると思う。現在のベルリンはドイツ最大の人口を誇るが、その構成は多様で、旧東独出身者はもちろん、諸外国から移民が大量に流入するドイツきっての国際都市となっている。中でもトルコ系住民の数は圧倒的で、すでに全ベルリン市民の四分の一から三分の一を占めるに至っているという。そのような状況で「西」ベルリンの「自由と民主主義」の勝利を称揚されても、人によっては時代錯誤に思うかも知れない。
 オバマ演説で何度も引用された「大空輸作戦」の舞台であるTempelhof空港は現在でも一部の市民には伝説的な意味を持っており、市当局の老朽化と財政難に伴う閉鎖決Berlin_Tempelhof_Luftbrueckendenkmal.jpg定に対して、市民団体による反対運動が展開されていた。しかし今年4月に実施された住民投票の結果はあっけないもので、全有権者の2割しか閉鎖反対に票を入れなかった。はからずもベルリンの神話を守ろうとする人々が、すでにベルリン市民の大勢から浮いた存在になりつつあることが如実な形で示されたのである。米国によってこの街にかけられた自由と民主主義の砦という魔法は徐々にその力を失いつつある。一片の演説に酔いしれるには、今のベルリンには見据えねばならない現実的課題が山積している。(右は空港の敷地にある大空輸作戦記念碑。)
 Pressebild_Vorschau_Raue_182x128.jpg
 ベルリンでは今年3月から市の肝いりで"Be Berlin" という市民参加型の新しいイメージキャンペーンが大々的に展開されている。ベルリンで多様なバックグラウンドを背負い生活する市民たちが自身の生活や経歴をカメラの前で語り、それをつなぎ合わせていくというコンセプトで、そこで語られるのは自由や民主主義の理想ではなく、21世紀という新しい時代の只中で躍動するベルリンの素顔とそこに住まう生身の市民の姿である。(上はキャンペーンのポスター。)
 
 冷戦終結からすでに20年近い。ベルリンもようやく運命の長い手を離れて、自分の足で立つことを模索しているのである。
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ベルリンと米国~Bei Gelegenheit von Obamas Berliner Rede(4)

 “A World that Stands As One“ と題された今回のオバマ演説は何より「ブッシュ政権の一国主義からの転回、大西洋関係の再構築」に重点が置かれている。ありていに言えば、その最上のダシとしてベルリンが使われている。
 
C-47s_at_Tempelhof_Airport_Berlin_1948.jpg オバマ氏は演説の冒頭でいわゆる「大空輸作戦(写真左)」の精神に言及する。1948年6月、ソ連側の西ベルリン封鎖に対抗するため、西側諸国がリスクを承知で大量の物資を西ベルリンに空輸し、この街を死守する意思をソ連側に示した。自由と民主主義の精神を守り通したベルリン市民を賛辞し、米欧の連帯の精神を強調する。
 続いてベルリンの壁の崩壊に言及しつつ、現代の国際社会におけるさまざまな課題に対処するためには米欧間の協調が不可欠であることを説く。そして協力を妨げる「新しい壁」を突き崩さねばならないと述べる。
 
「大西洋両岸をまたぐ同盟を阻む壁の存在を許してはならない。民族や人種の間に横たわる壁を許してはならない。移民と現地人、キリスト教徒とムスリムとユダヤ人を分かつ壁を許してはならない。これこそ我々が今突き崩さねばならない壁である。」
 
 そして具体的な政策課題を述べた後、アメリカ国内を意識してであろう、演説の最終部で自らのアメリカへの愛、そしてアメリカの理想こそが恐怖と欠乏からの自由を切望する世界中の人々を惹きつけてきたのだとする。そしてその理想を再びベルリンと結びつける。
2008-07-24-sun.jpg 
「この切望こそが全ての国家の運命とこの街とを結びつけているものなのだ。この願いの前には何物も我々を分かつことはできない。大空輸作戦はこの願いから始まった。すべて世界の自由なる人々が『ベルリンの市民』となったのもこの願いからだ。そしてこの願いゆえに新しい世代である我々は世界に自分たちの道標を打ち立てねばならないのである。」
 
 『ベルリンの市民』の下りは明らかにケネディ演説の借用で、演説のクライマックス、忘れた頃に自然な流れの中でさりげなく挿入してあるところがニクい演出である。
 試みにBerlinという単語が演説中に何度登場するかを確認してみたところ、30分弱の演説中実に22回言及されていた。舞台がパリやロンドンではこの頻度はち108c6a37.pngょっと考えられないだろう。
 
 演説のパフォーマンスとしてはさすがとうならせられるもので、中継を見る限りでは現地のベルリンの群衆たちの反応も非常によく、興行的には大成功と言ってよいと思う。

ベルリンと米国~Bei Gelegenheit von Obamas Berliner Rede(3)

 レーガン演説は1987年、新冷戦の只中で行われた。しかしソ連側にはゴルバチョフが登場して改革開放を推進していたこともあり、わずかながら東西対立が終焉に向かう兆候を感じ取ることができる、そうした時代背景であった。従ってレーガンが壁の解体をゴルバチョフに呼びかけたくだりでは文字通り割れんばかりの歓声と喝さいが会場を覆った。6b0424f3.jpeg

「ゴルバチョフ書記長、もしあなたが平和を望み、ソ連と東欧の繁栄を望み、自由化を望むなら、この門の前に来るがいい。ゴルバチョフ書記長、この門を開けるのだ!この壁を打ち壊すのだ!」

 ケネディ演説と比べると個々の政策への言及も多く、良く言えば具体的、悪く言えば官僚的な内容である。実際この演説が冷戦史を象徴する歴史的なものと認知されていくのは17か月後、実際に壁が崩壊してからのことだという。レーガンは演説の冒頭でケネディ演説に触れ、また各所にドイツ語を織り交ぜるなど、スピーチライターがケネディ演説を意識していたであろうことをうかがわせる。

 この二つの演説に目を通した上で今回のオバマ演説を見ていくと随所にケネディ、レーガン演説を意識したのでは?と思わせる箇所が見られてなかなか面白い。

 それにしても驚くべきは聴衆20万という動員数である。ドイツの世論調査ではドイツ国民の3分の2がオバマ氏を次期大統領に望んでいるという。このオバマ人気はヨーロッパ共通の現象のようで、裏返せばこの8年間、いかにブッシュ政権が欧州で嫌われ者になったかを表している。

ベルリンと米国~Bei Gelegenheit von Obamas Berliner Rede(2)

 ベルリン(西ベルリン)は数多くの米大統領の訪問を受けている。オバマ氏はもちろんまだ大統領ではないのだが、彼の演説は行われる以前からかつて米大統領がベルリンで行った歴史的演説との対比が行われていた。とりわけケネディ大統領の「Ich bin ein Berliner」演説(1963)、レーガン大統領の「Tear down this wall」演説(1987)が並んでよく引用されていたように思う。

 ケネディ演説は、あまりにも有名である。

jfkberlinfilmstill1.jpg「2000年の昔、最も誇らしげな台詞は『私はローマ人だ』であった。今日、この自由の世界において、最も誇らしげな台詞は『私はベルリン市民だ(Ich bin ein Berliner)」である」。
 共産主義に対する「自由陣営」の対決姿勢を鮮明にしながら、自由主義を守る闘いの最前線にある西ベルリン市民を称揚し鼓舞したこのわずか10分たらずの演説は、ベルリンという最高の舞台を得て、アメリカ史上に残る名演説としてその名を刻んでいる。特に演説の結部は見事で、ケネディが最後のドイツ語を語り終えた瞬間、会場は圧倒的な聴衆の歓声に包まれる。
「全て自由なる人々は、どこに住む者であれ、ベルリン市民である。それゆえ、私は自由なる者として、誇りを持って言おう。Ich bin ein Berliner。」
Tafel_Kennedy.jpg
 当時の西ベルリン市民達の日常と隣り合わせの恐怖ー一旦東西陣営の間に亀裂が走れば真っ先に標的になり、即座に街もろとも灰塵と期すだろうという緊張感ーは計り知れないものがあったろうと思う。ケネディの清新なイメージと巧みなレトリックが、ベルリン市民たちの重い心を誇りと希望に熱く燃え上がらせたであろうことは、想像に難くない。右はケネディ演説を記念するレリーフ)


 このケネディ演説の大成功は、あとに続く大統領たちにとってはあまりやりやすいものではなかったろう。その中ではレーガン演説が高い評価を得ているようだが、個人的には恐らく演説の内容そのものよりも「冷戦に勝利し壁を崩したレーガン」という歴史的事実と、何よりブランデンブルク門をのぞむ東ベルリンとの境界間近で行われたというロケーションとしての重要性が大きく寄与しているのではないかと思う。


ベルリンと米国~Bei Gelegenheit von Obamas Berliner Rede(1)

 ドイツという国は20世紀史に強く規定された国のように思う。ドイツという国の成り立ち、とりわけその政治を理解するには、何より現在のドイツ連邦共和国が自国の現代史を通じてうず高く積み上がった数々の教訓と反省の上に成り立っていることを理解する必要がある。
 そして同時にドイツという国の現代史はそのまま激動の現代世界史である。ヨーロッパ大陸の真ん中に位置する新興軍事国家がうねりを立てて他国を渦中に巻き込み、秩序の破壊と創造のあくなき連鎖を繰り返したのが20世紀史であり、そのうねりはヨーロッパ大陸のみならず広く世界全体を揺さぶるものであった。そしてその渦の中心に一貫して座し続けたのがベルリンという街であり、大西洋を越えてその深奥にまで引きずり込まれたのがアメリカという大国であった。誤解を恐れずに言えば、アメリカが現在超大国として世界にコミットし君臨するに至る経緯において、ベルリンは非常に重要な役割を果たしたわけである。

 言わずと知れたバラク・オバマ米大統領民主党候補が、今次の欧州訪問に際し数ある選択肢の中からベルリンをその演説地として選んだのは、恐らく米独関係の重要性というよりは、ベルリンという街の持つ「現代の神話」的な象徴性、そして何よりアメリカとの深い因縁を重視したからだと思う。

 自分は今所用で英国に滞在しているため、残念ながら生で現地の雰囲気を味わうことができなかったが、こちらの新聞でもオバマ演説は新聞の一面トップを飾っていた。ドイツのインターネットサイトをチェックしてみてもオバマ氏の行動が刻一刻と詳細にアップされていて、ドイツ・メディアの関心の高さを大いに感じさせるものがあった。
Brandenburger_Tor_DRI_filtered.jpg
 オバマ氏の訪独、そしてベルリンで演説を行うことが明らかになってから、その場所を巡ってベルリンではちょっとした騒ぎになった。当初オバマ陣営がベルリンと東西ドイツ統一の象徴であるブランデンブルク門()の前での演説をオファーしたのに対し、まだ一候補の身分にすぎない人物をかような高度の象徴性を持つ場所で演説させてよいものかどうかが、首相や外相、ベルリン市長など多くの有力政治家の間で党派性をはらんだ議論に発展した。

2481239333-obama-draengt-iran-einlenken-atomstreit.jpg 最終的にはメルケル首相が慎重な態度を崩さず、独外務省、首相府、オバマ陣営の協議の結果、ブランデンブルク門の西2キロほどに位置するSiegessäule(ジーゲス・ゾイレ、戦勝記念塔)前で行われることで決着した。ドイツ統一につながる普墺戦争や普仏戦争などでのプロイセンの勝利を記念するため建てられた塔である。
 一般にアメリカ政治の動向にドイツは敏感だと思うが、それにしても今次訪問をドイツ側がいかに重要な政治案件と捉えているかを感じさせる出来事だった。

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読書、旅行
自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
[12/16 abuja]
[02/16 einjapaner]
[02/09 支那通見習]
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