のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
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ベルリン(西ベルリン)は数多くの米大統領の訪問を受けている。オバマ氏はもちろんまだ大統領ではないのだが、彼の演説は行われる以前からかつて米大統領がベルリンで行った歴史的演説との対比が行われていた。とりわけケネディ大統領の「Ich bin ein Berliner」演説(1963)、レーガン大統領の「Tear down this wall」演説(1987)が並んでよく引用されていたように思う。
ケネディ演説は、あまりにも有名である。
「2000年の昔、最も誇らしげな台詞は『私はローマ人だ』であった。今日、この自由の世界において、最も誇らしげな台詞は『私はベルリン市民だ(Ich bin ein Berliner)」である」。
共産主義に対する「自由陣営」の対決姿勢を鮮明にしながら、自由主義を守る闘いの最前線にある西ベルリン市民を称揚し鼓舞したこのわずか10分たらずの演説は、ベルリンという最高の舞台を得て、アメリカ史上に残る名演説としてその名を刻んでいる。特に演説の結部は見事で、ケネディが最後のドイツ語を語り終えた瞬間、会場は圧倒的な聴衆の歓声に包まれる。
「全て自由なる人々は、どこに住む者であれ、ベルリン市民である。それゆえ、私は自由なる者として、誇りを持って言おう。Ich bin ein Berliner。」
当時の西ベルリン市民達の日常と隣り合わせの恐怖ー一旦東西陣営の間に亀裂が走れば真っ先に標的になり、即座に街もろとも灰塵と期すだろうという緊張感ーは計り知れないものがあったろうと思う。ケネディの清新なイメージと巧みなレトリックが、ベルリン市民たちの重い心を誇りと希望に熱く燃え上がらせたであろうことは、想像に難くない。(右はケネディ演説を記念するレリーフ)
このケネディ演説の大成功は、あとに続く大統領たちにとってはあまりやりやすいものではなかったろう。その中ではレーガン演説が高い評価を得ているようだが、個人的には恐らく演説の内容そのものよりも「冷戦に勝利し壁を崩したレーガン」という歴史的事実と、何よりブランデンブルク門をのぞむ東ベルリンとの境界間近で行われたというロケーションとしての重要性が大きく寄与しているのではないかと思う。
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