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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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徴兵制(2)

 市民奉仕はBAZ(Bundesamt fur den Zivildienst, 市民奉仕局)という行政機関が管理している。同局のホームページによると2006年にはドイツ全土で約61000人の青年が市民奉仕活動に従事したという。一方でドイツ連邦軍の統計によるとここ5年間で兵役に従事したのは45600人で、これを単純に年ごとに割ると約9100人となる。毎年7万人もの若い労働力が調達されていることになる。

 こうした状況の中、ドイツ国内では年々廃止論が高まっているという。特に戦争が高度化し、連邦軍の任務が多様化するにつれ、わずか9か月の兵役従事者は軍事的にはあまり意味のない存在となってしまっている。こうした事情から軍当局は職業軍人制度の導入を目指しており、徴兵制の廃止に積極的である。ただしその際に市民奉仕義務によって大きな労働力を賄われている社会福祉分野をどう手当てするかが大きな課題となっている。憲法を改正し、男女ともに兵役の代わりに市民奉仕を義務付ければよいとする議論もある。

 憲法上の義務、戦争の高度化、社会福祉分野への影響。ドイツの徴兵制を巡る議論には複雑な視点が交錯している。それは何よりこ
の制度が単なる軍事上の制度を超えた社会システムであることを示している。思えば徴兵制の成立も「国民」の形成という大きな社会史的背景を抱えていた。古典的国民国家の残滓としての徴兵制f368ed84jpegがいかなる議論にさらされ、どのような変貌を遂げていくのか。それは現代ドイツ社会の潮流そのものを示しているようにも思える。は市民奉仕活動に従事するドイツ人青年。BAZHPより。)
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徴兵制(1)

 自分が通っている語学学校ではZivilsと呼ばれる20歳前後の若者たちが文化プログラムを担当している。彼らの勤務する部屋は大学のサークルのような雰囲気で、いつも和やかな空気が漂っている。

とはいえ、彼らはアルバイトをしているわけではない。彼らの呼称はZivildienst(市民奉仕)から来ており、その対義語はWehrdienst、つまり兵役のことである。つまり語学学校のZivilsは、良心的兵役拒否が認められたため、その代替服務としてここで市民奉仕活動に従事しているのである。こんなところで徴兵制の実態を目にすることになるとは考えておらず、私はこの制度が如何にこの国の人々の社会生活に密着しているかを強く実感させられることになった。

 ドイツでは今でも徴兵制が生きている。連邦共和国基本法12a条に定められた憲法上の義務であり、全ての18歳以上の成人男性に適用される。女性に義務はない。期間は9か月、有名な「良心的兵役拒否」の規定により、良心的理由から兵役に従事できない場合には代替服務、すなわち社会奉仕活動に従事することが可能である。社会奉仕活動の期間は同じく9か月であり、分野は介護・福祉施設での活529bcbadjpeg動に加え、環境保護、幼稚園など教育分野、さらには市役所の仕事やユースホステルの管理まで多岐にわたる。(左は独国防軍作成の兵役に関する広報動画の一部。同HPより。)

 
 現在では徴兵制は冷戦期の名残としての側面が強くなっている。冷戦終了後の連邦軍縮小に伴い、現在では実際に兵役に従事するのは対象層の15%程度であるという。しかし市民奉仕はあくまで代替手段と位置付けられているにすぎない。たとえば徴兵検査の結果、身体的理由から兵役に従事できないとされた者は市民奉仕への従事義f390ca69jpeg務もなくなる
。また兵役は男性のみの義務であるから、女性には市民奉仕義務も存在しない(右は徴兵検査の様子。独国防軍HPより。)


 すでに実体としては市民奉仕の方が社会的にも経済的にも重要な役割を果たしているにも関わらず、制度としての徴兵制が頑健な形で存続しているのである。

夏時間

 この季節ドイツは日照時間が長い。ベルリンは緯度で言うと宗谷岬より更に北に位置しているのだから当然だが、朝は5時前に夜が白みはじめ、夜は22時前まで明るい。自分が異国にいるということを最も直観的に実感させられる事象である。
 単純に考えて一日の約3分の2が昼ということになる。ドイツでは夏に肌をさらして所構わず日光浴をする市民の姿をよく見かけるが、冬にはこの昼夜時間が逆転することを考えると、太陽の光を恋い焦がれる気持も理解できる。

 ただ5時から22時というのは日本で言えば4時から21時ということである。ドイツはSommerzeit(サマータイム、夏時間)の国である。

32680239png 左の図(ウィキペディアから拝借)では、青が現在導入中の国、オレンジがかつて導入したことのある国(日本でも戦後直後に一時導入されていた)、赤が導入されたことのない国という区分である。世界の広範な地域に浸透しており、特に高緯度の地域で導入されている例が多い。欧州独自の制度というわけではないということがよく分かる。
この制度の構想自体は古く、すでに18世紀頃にはアイデアが出ていたようである。ドイツは政府レベルで初めてこの制度を導入した国であり、当初第一次大戦下の1916年から終戦までの3年間にわたり実施された。目的は単純で、日照時間の増加に合わせて労働時間を増加させ、総力戦に資することであった。同様の理由で第二次大戦中も採用している。あまり名誉な話ではない。
 70年代の石油危機をへて、この制度は「日照時間の有効利用によるエネルギー節約」を理由として再び欧州各国で導入され始め、ドイツもそれにならった。EU統合の流れの中で、現在ではMESZ(Mitteleuropäische Sommerzeit、中央欧州夏時間)の呼称でEU全体で統一的に運用されている。3月の最終日曜日から10月の最終日曜日まで、1時間時計の針が進む。夏時間と言いながら夏限定ではなく、実に7か月にわたる。
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 ドイツの人々は表向き夏時間の利点を享受しているように見える。ただ明るい夏の夜を積極的に楽しむという発想は夏時間から生まれるわけではない。それは日照時間と気候の循環に根差した、より基層的な文化意識から生じるものだと思う。日本でも再び夏時間導入をめぐる議論が持ち上がっているが、この点は留意しておく必要があるだろう。日本人にとって夏の西陽はあまり有難いものではないのだから。

Schwarzfahren

 ベルリンの交通はよく整備されていて外国人でも利用しやすい。バス停は標識がよく目立つのですぐに場所が分かるし、地下鉄では列車到着までの時間が電光掲示板で表示され気が利いている。

 ベルリン市内の交通はBerliner Verkehrsbetriebe (BVG、ベルリン交通公社)というベルリン市100%出資機関によってバス、U-Bahn(地下鉄)、S-Bahn(近郊鉄道)、Tram(市電)などが統一的に運用されている。 そのため市内の運賃体系には交通手段の区別がない。市の中心から外縁に向けて同心円を描くように、ABC3つのゾーンが設けられていて、Aゾーン内の移動の場合、ABゾーン内の移動の場合、ABCゾーン内の移動の場合のそれぞれに応じ、料金が設定されている。
 たとえばAゾーン内の切符を購入すれば、この域内の移動に関しては、どの駅(またはバス停)で降りても、途中どの交通手段を使用しても、料金は変わらないという仕組みである。通常の観光なら大抵はAゾーン切符で事足りる。

DSCF5903.jpg 日本人にとって驚きなのは駅に改札が存在しないことである。各人が駅やバス内に設置されている券売機(左)で購入した切符を、同じく駅やバス内に設置されている自動刻印機(Entwerter、右下)に自発的に差し込むことで時間が刻印され、その時間から数えて有効期間内(普通の切符は2時間。一日乗車券などもある。)は自由に電車DSCF5901.jpgに乗降できるという仕組みである。このシステムはベルリンだけでなく全ドイツ共通であるらしい。

 乗客の統制は入口出口で一律に行うのではなく、主に車掌による乗車券確認の強化と摘発時の罰金高額化を通じて行うという発想のようで、ゾーン外切符での乗車、切符の刻印忘れは即不正乗車とみなされるらしく、このあたりの措置は厳格である。

 とはいえ、市内でそれほど頻繁に車掌が回ってくるわけではない(私は一度も遭遇していない)。実際、知人が無賃乗車をするのを見聞きすることもしばしばである。ドイツでは無賃乗車のことをSchwarzfahren(闇乗車)といい、BVGも含め、わざわざ禁止を呼び掛ける広告を打つ会社
も多いようだ。実際にSchwarzfahrenが横行している証左だろう。

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(左はMünchner VerkehrsGesellschaft(MVG、ミュンヘン交通公社)のシリーズ広告の一つ。「闇乗車?結構です!」とのタイトルが見える。)


 個人的には日本の自動改札機システムの方が統制面でもコスト面でも合理的に思えるのだが、ドイツでこのシステムがとられていることには意外と大きな文化的、あるいは社会経済的背景があるのかもしれない。もう少し掘り下げて調べる価値があるのではと思っている。


ウンテル、デン、リンデンの光芒(2)

第二次大戦による破壊の後、この地域は東側陣営の占領下に置かれた。歴史的建造物が再建される傍ら、ソ連大使館など東側陣営の権威を象徴する建物が建設された。そしてベルリンの壁はブランデンブルク門を境界としてこの通りの西端を塞ぐ形となった。
 壁の崩壊後、この通りは西側資本による再開発が急速に進展し、今や再び統一ベルリンのメイン・ストリートとしての地位を取り戻しつつある。逆に、西ベルリンの中心的目抜き通りであったクーダムKurfuerstendammは、本家に若者をとられた形となり、かつての繁栄を失いつつあるという。

 夕暮れ時の街路は人通りも盛んで活気にあふれていた。周辺ではまだ工事現場が散見され、引き続き開発が進められている。ベルリンは今も変化し躍動し続けている。
工事現場の一画に以下の文章が打ちつけてあった。

DSCF5638.jpg「ベルリン人には二つのタイプがある。片方はベルリンに生まれてそれを自明のことだと思っている人。 もう片方は、私はたまたまこちらの側だが、自分でこの街を選んだ人。そして私も含むこちら側の人たちは、自分を幸せだと思っている。私たちには、生れながらのベルリン人がなんで不機嫌だったり好戦的だったりするのかよく分からない。世界一の街に住んでることに勝る幸福があるとでも言うのだろうか。」

 Harald Martensteinは高名なジャーナリストらしい。重機の作業音の中でベルリンという街の数奇な運命を鑑みる時、この何気ない文章ですら、何か不思議な詩情を帯びてくるように思われた。苦難を背負った経験のあるものだけが放つ香気とでもいうべきものだろうか。

 私はベルリンの中で、この界隈が一番気に入ったようである。

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HN:
Ein Japaner
性別:
男性
職業:
趣味:
読書、旅行
自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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[02/16 einjapaner]
[02/09 支那通見習]
[10/30 支那通見習]
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