第二次大戦による破壊の後、この地域は東側陣営の占領下に置かれた。歴史的建造物が再建される傍ら、ソ連大使館など東側陣営の権威を象徴する建物が建設された。そしてベルリンの壁はブランデンブルク門を境界としてこの通りの西端を塞ぐ形となった。
壁の崩壊後、この通りは西側資本による再開発が急速に進展し、今や再び統一ベルリンのメイン・ストリートとしての地位を取り戻しつつある。逆に、西ベルリンの中心的目抜き通りであったクーダムKurfuerstendammは、本家に若者をとられた形となり、かつての繁栄を失いつつあるという。
夕暮れ時の街路は人通りも盛んで活気にあふれていた。周辺ではまだ工事現場が散見され、引き続き開発が進められている。ベルリンは今も変化し躍動し続けている。
工事現場の一画に以下の文章が打ちつけてあった。
「ベルリン人には二つのタイプがある。片方はベルリンに生まれてそれを自明のことだと思っている人。 もう片方は、私はたまたまこちらの側だが、自分でこの街を選んだ人。そして私も含むこちら側の人たちは、自分を幸せだと思っている。私たちには、生れながらのベルリン人がなんで不機嫌だったり好戦的だったりするのかよく分からない。世界一の街に住んでることに勝る幸福があるとでも言うのだろうか。」
Harald Martensteinは高名なジャーナリストらしい。重機の作業音の中でベルリンという街の数奇な運命を鑑みる時、この何気ない文章ですら、何か不思議な詩情を帯びてくるように思われた。苦難を背負った経験のあるものだけが放つ香気とでもいうべきものだろうか。
私はベルリンの中で、この界隈が一番気に入ったようである。 PR
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米国で見るベルリンの壁
"The Berlin Wall stood, a hated symbol of oppression, until it was breached in November 1989. By then the Soviet empire was in ruins, and the Cold War decisively won by the West. This section of the original wall is a gift to the American people who, for nearly 40 years, supported for independence for eastern Europe."
ひとつの壁を巡る国際政治というドラマにおいて、やはり登場人物の立場によって、同じコンクリートの物体に見出す意味というのはそれぞれ違うんですね。
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