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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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フジヤマの身売り(3)

 「21世紀にもソニーは私たちの文化的な生活に影響を与える革新的な製品とコンテンツを提供していきます。私はソニー・センターの落成を祝うことができ、またこの建物のデザインがソニーの理念を体現していることを、心よりうれしく思っています。」DSCF7948.JPG
 先の式典で大賀会長が述べたとおり、ソニー・センターの奇抜な外観はいかにもデザイン重視のソニー製品にマッチしており、同社のブランド・イメージにうまく合致しているように思われる。またソニー・センターにはベルリン映画博物館が入居し、またベルリン国際映画祭の会場としても使用されるなど、映画とのつながりも深い。この面でも映画も含めコンテンツ面でも積極的な展開を探ってきた近年のソニー路線を体現しているようでもある。(右は『スパイダーマン』公開に際しての同センターでのイベント)

 SONYの持つ良い意味での軽み、スタイリッシュさは世界のどこに出しても決して恥ずかしいものではない。そうした世界に通用する企業ブランドを象徴する建物がベルリンの中心部に堂々とそびえていることは、こちらに住む日本人としてはやはりなんとなく誇らしいものである。

 そのソニー・センターが売却されるという。いや、現実には買い手がつかずに売却案が立ち往生している。 

 昨年10月、ポツダム広場のソニー・センター、及び南に面するダイムラー・クライスラー・シティーの一群の不動産が、それぞれの所有元企業から売却に出された旨が報じられた。詳細な理由は明らかではないが、高額なオフィス賃貸料が再開発の進むベルリンの中でネックとなり、入居者を確保できなかったことが大きな理由とされる。特にソニーの場合、最大の入居者であるドイツ鉄道(Deutsche Bahn)が、新設されたベルリン中央駅近辺のオフィスに移転することが決まったことが大きなダメージになったと言われる

 ダイムラー側は12月に売却先が決定したが、ソニー・センターは今年1月時点で8億ユーロでの売却が成功しなかったという。ソニーは一端売却提案を引きあげた形となっており、今後の動向は不透明だが、おそらくさらに額を切り下げた形での売却を余儀なくされると見られる。

DSCF7950.JPG 売却成立後には「ソニー・センター」の名称が変更される可能性が否定できない。現実は甘くはない、と言えばそれだけの話である。バブル時代の思慮を欠いた資産戦略のツケだ、という言い方もできるのだろう。しかし「この広場を世界の交差点にしよう」という統一ベルリンの夢に参加した日本企業の若々しい意気込みが、名前とともに消えさってしまうように感じられるのは、やはりさみしい。(左は同センター一角のソニー欧州本社。)

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フジヤマの身売り(2)

 「私がこのプロジェクトに参画する決断をしたのは、ベルリンの将来に大きな確信を抱いたからです。ベルリンは21世紀ヨーロッパの新しい交点です。」 2000年6月14日、10年近くの施工期間を経てソニー・センターはオープンした。右はセレモニーに際しての当時のソニー会長、大賀典雄氏のスピーチの一節である。ちなみに同氏はベルリンに音楽留学の経験があり、落成式典に際して自らベルリン・フィルによる「第九」の演奏を指揮したという。

 ソニーやダイムラーが統一後に本格的な開発に乗り出すまで、Potsdamer Platz(ポツダム広場)近郊は巨大な空白地であった。もちろんそれには理由がある。
 ソニー・センターの地下通路にはの歴史がボードにして展示さPotsdamerplatz3.jpgれている。それによると、大戦前、この一角はベルリンで最も人の集まる通りの一つであり、著名なホテルや映画関連の施設が集まる繁華街であった。これらの伝統的な建築群は第二次大戦の惨禍で半壊し、さらに不幸なことに、この広場を境にソ連、アメリカ、イギリス各国の占領地域の境界が引かれることになってしまったのである。当初はその地の利が生かされベルリン最大の闇市が立ったりしたらしいが、61年にベルリンの壁が建設されるとこの広場は完全にかつての機能を失った。半壊したままほそぼそと使用されていた建物も安全上の理由から徐々に撤去され、冷静の終結を迎えたときにはぽっかりと巨大な真空地となっていたのである。

PotsdamerPlatz_Vogelperspektive_2004_1.jpg それだけに、ベルリンの統一とともにこの地域を新たなコンセプトで開発しようというプロジェクトには、まさに東西冷戦の終結と新たな時代への一歩を象徴する大きな意味があった。企業戦略という観点からも、西側陣営の最東端に位置する巨大都市であるベルリンは、新たに開かれた東方のフロンティアへの起点として、地政学的にも重要な意味を持つことになったのである。

 それだけにこの地域の開発には未来的なコンセプトが重視された。ソニー・センターと大通りを挟んだ南側はダイムラー・クライスラーが開発が行い、同じくポスト・モダン的な建築群が登場した。この大開発によりポツダム広場は「ヨーロッパ最大の建築現場」と称され、世界中の耳目を集めることになったのである。


フジヤマの身売り(1)

DSCF5562.JPG 日本人が欧米で最も頻繁に目にする日本ブランドと言えば、おそらくソニーの名を挙げる人が多いのではないか。実際の数字を見てみれば東芝や松下、CANONなども負けてはいないのだろうとは思うが、ブランドとしての露出度ということで言うと「SONY」がもっとも目につくように思われる。特にドイツでは自国の自動車産業がまだまだ強力なこともあり、日本車の浸透具合がいま一つなこともあって、SONYの存在感はやはり大きい。ブランド力とは不思議なもので、日本ではあまりかんばしい噂を聞かない同社のノートパソコンも、こちらの電機屋では店員が高品質の製品として薦めてくることが多いと聞く。

DSCF7952.JPG 統一後のベルリンの中心部にはそんなソニーの知名度を支える巨大建造物がそびえ立っている。ビル群を覆うように据えられた傘状の屋根はまさしくフジヤマであり、今や現代ベルリンを象徴する建造物の一つとなっている。
 ソニー・センター・アム・ポツダーマープラッツ(Sony center am Potsdamer Platz)と呼ばれるこのポスト・モダン建築の開発は、東西ベルリン統一直後の1991年6月、ソニーがベルリン市より広場の一角を買収したところから始まる。三菱地所のNYロックフェラーセンター買収に象徴されるように、バブル時代後期にはジャパン・マネーによる海外不動産の買収が大いに話題となっていた。1991年の時点ではまだバブル崩壊が明示的になっていたわけではないので、ソニーの当時の動きもこの文脈の中で捉えられるかもしれない。

 ちなみにこちらの報道ではソニーは「Japanischer Konzern」と称せられることが多い。何より電機屋としてのイメージが強いソニーが「コンツェルン」と呼ばれるのはいささか違和感があるが、この企業の事業範囲の広さを客観的に考えてみれば納得させられる部分もある。


Ostalgie(2)

120px-Ampelmaenner.jpg その他日本でも比較的よく知られているのがAmpelmann(アンペルマン、信号男、左)である。もともと東ドイツで使用されていた歩行者用信号の人型であり、東ドイツでの交通教育などで使用された経緯もあって、存続を求める声が強く、市民運動まで組織された。現在はベルリン土産として様々な関連グッズが120px-East_Berlin_traffic_lights3.jpg販売されている。その人気ゆえか、現在では西ドイツのいくつかの都市でもこのAmpelmannを用いた歩行者信号が導入されているのだという。

 私の友人には旧東ドイツ出身者はいないので確認のしようがないが、今でも旧東ドイツでは、こうしたオスタルギー溢れるグッズや飲食品を持ち寄って在りし日の民主共和国を懐かしむパーティーがあちこちで開かれているという。切ないと言えば切ないし、滑稽と言えば滑稽である。おそらくOstalgieに浸る人々の胸の中にも哀愁と自嘲の思いがないまぜになっているのではないかと思う。

 ドイツにはOssi(オッシー)、Wessi(ヴェッシー)という言葉がある。それぞれ「東のやつ」「西のやつ」といった程度の意味合いだが、往々にして両者のお互いに対する反感が込められているという。統一とは事実上の西側による東側の合併吸収であり、企業も行政も政治も西側が大挙して東側を占領し統治し改革していく歴史だったということもできないわけではない。そこに生じた東側の「二級市民」としての劣等感、その裏返しがOstalgieという現象の一つの根になっていることは間違いない。

 すでに統一後18年の歳月が過ぎようとしているが、今でも東西ドイツの経済・社会格差は歴然としており、新聞やニュースでも東西関連の話題が取り上げられることは珍しくない。Ostalgieはドイツのもう一つの「過ぎ去らない過去」を象徴しているといえる。旧東側市民がDDRの歴史的位置づけと統一という現実とにクールに向き合えるようになるには、まだまだ時間が必要なのかもしれない。


Ostalgie(1)

film1.jpg 映画『グッバイ・レーニン!』は日本でも比較的よく知られたドイツ映画であり、ご存じの方も多いはずである。旧東ベルリンの一青年の母親への愛情を、今はなき東ドイツへの郷愁と巧みに重ね合わせ、重い社会テーマを軽いテンポで描ききった名作であり、2003年のベルリン国際映画祭で最優秀ヨーロッパ映画賞を受賞した。

 舞台は壁崩壊直前の東ベルリン。主人公アレックス青年の母親は民主化デモに参加し逮捕される息子の姿を見たショックで昏睡状態に陥る。熱心な社会主義者であった彼女が数ヶ月後に目を覚ました時、すでに壁は崩壊し、東ベルリンには大量の西側資本が流れ込んできていた。強烈なショックを与えると命を落とす危険があると診断された母親を守るため、アレックス青年は今なお東ドイツが平穏に存続しているよう、日用品からテレビのニュース番組まで生活のあらゆる面を偽装していく。その過程で彼や彼を取り巻く人々の東ドイツへの郷愁がさりげなく描かれていく。ざっくりと言えばこのようなストーリーである。

DSCF5595.JPG ドイツではこうした東ドイツへの郷愁はOstalgie(オスタルギー)と呼ばれる。Ost(オスト、東)と Nostalgie(ノスタルギー、郷愁)を組み合わせた造語である。現在でもオスタルギーを主題にした小説や映画は数多く存在するが、多くの場合、主人公は統一後に社会的地位を失った旧東ドイツ出身者であり、コミカルなタッチ180px-TrabiLondon.jpgでその統一ドイツでの哀愁に満ちた人生が描かれるというパターンが多いようである。こうした作品の中で良く使用される東ドイツの象徴としては、有名なベルリンのテレビ塔(Fernsehturm、左)や旧東ドイツの国民車トラビー(Trabi, 右)などがあげられる。

 ちなみに東ドイツの略称はDDR(Deutsche Demokratische Republik, ドイツ民主共和国)という。現在でも「DDR」と大きく文字の打ったTシャツなどがベルリンの土産物屋におかれているが、これらはいわばオスタルギー・グッズということになる。
 


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読書、旅行
自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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