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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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ビールの話(3)

DSCF6494.JPG 折しも現在ミュンヘンで世界最大のビール祭りオクトーバーフェストが開催されている。このイベントは19世紀初頭、バイエルン王国(かつてミュンヘンに首都を置いていた南ドイツの王国)の皇太子ルートヴィヒ1世と皇太子妃テレジアの成婚を祝して催されたお祭りが起源とされ、当初は必ずしも「ビール」にまつわるお祭りというわけではなかった。
 なぜオクトーバーフェストがビールのお祭りとなったかについては諸説があるが、一つには10月という時期がミュンヘンのビール醸造にとって一つの節目に当たる時期であったからと言われている。ミュンヘンのビール醸造は秋から冬にかけて行われており、ちょうど10月あたりから次年度に向けたビール醸造を開始せねばならなかった。夏の間に消費しきれずに残っていたビールをこの時期に一気に飲み干してしまうことで樽をカラにし、次年度に使い回すという民間醸造所の習慣が皇太子ご成婚の祝賀祭と結びつき、次第に「ビールのお祭り」としてのオクトーバーフェストが形作られてきたようである。
 ミュンヘンはドイツの中でも「ビールの都」としてのイメージが強い。元来この地域はむしろビールよりもワイン志向であったのだが、三十年戦争の惨禍の中でワイン畑が荒廃してしまったのを契機に、次第にビール志向が高まって行った。

 ビールと言って日本人がイメージするのは「黄金色の切れ味のある咽喉越しのすっきりとした飲み心地のお酒」といったところだと思うが、実はこの意味でのビールが登場したのは19世紀半ばの話で意外と歴史は浅い。こうしたビールは一般に「ピルスナー」というカテゴリーに分類される。名前の起源はチェコの地方都市ピルゼンで開発されたことに由来するが、この黄金色の「ピルスナー」はその見栄えと切れ味鋭い飲み心地で瞬く間に世界のビール市場を席巻し、それまで主流とされてきた英国のエールやスタウトといったビールを圧倒し、現代ビールの標準規格を形造ることになった。
 実はこのピルスナーというビールはもともとミュンヘンで伝承されてきた「下面発酵」という醸造方法がチェコに技術流出したものなのである。これは発酵に用いられる酵母の種類の相違で、元来は発酵後に酵母が液面に浮かび上がる「上面発酵」のビールが標準的だった。下面発酵ビールは一般に味にキレがあり透過色が美しく、かつ低温での発酵が可能で雑菌が繁殖しビールが腐敗するリスクが少ない。下面発酵ビールは低温で保管されるため、爆発的な普及とともに倉庫を意味する「ラガー(Lager)」の名で呼称されるようになる。ミュンヘンは現代ラガー・ビールの故郷と言ってよい。

 現在のドイツでもビールの主流はラガー・ビール、とりわけこのピルスナー(ドイツ語では単にピルス(Pils)DSCF9305.JPGと呼ばれる。)であり、この点では世界市場と同じである。ミュンヘンなど南部ではへレス(Helles)と呼ばれるやや苦味を抑えた旨みの濃いビールが主流であるが、これも醸造方法においてはほとんどピルスと変わりない(左はドイツピルスの代表的銘柄の一つ、Krombacher.)
 ただドイツビールの奥深さを楽しむためにはピルスやへレス以外のビールにも目を向けてみる必要がある。ドイツのビールの多様さはそのままドイツという国の地域的、歴史的な多様性を反映しているようで、知れば知るほど興味深い。

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ビールの話(2)

 ビールの歴史は古代メソポタミア文明にまでさかのぼるが、ゲルマン人に伝搬し定着したのは紀元前後の頃だと言われる。タキトゥスの『ゲルマニア』にビール関連の記述が残っている。
「飲料には大麦または小麦よりつくられ、いくらかブドウ酒に似て品位の下がる液がある。」
といった具合で、面白いことに既に古代ローマの時代から「ワインこそ高貴なるローマ人の飲料であり、ビールなぞは野蛮なゲルマンの酒」という意識がうかがえる。このようなイメージは同時代に広く普及していたようで、ギリシアの歴史家ヘロドトスの著書にも「エジプト人がビールなぞを飲んでるのはエジプトではブドウがないから仕方なく飲んでいるのだ」という趣旨の記述がある。

 当時のビールはもちろん「麦芽からつくられる酒」という定義内でのビールに過ぎず、現在の感覚で言うビールとはもちろん別物で、どちらかと言えば穀物の摂取(調理?)方法の一環としての性格が強かったとされる。そのためビールづくりはパンと同じく各家庭ごとの女性の仕事であり、うまいビールを作る娘は嫁入りの際に重宝がられたという冗談のような話まである。
 このように本来ゲルマンの庶民の生活に密着した存在だったビールは、中世の800px-Hopfen3.jpg封建社会の成立とともに修道院や領主の管理下に置かれ始める。当時のビールは味付けのための添加物として薬草やハーブなど雑多な植物が用いられていたが、経験と技術が統合蓄積されるにつれ、ホップとの組み合わせが保存の面でも味の面でも最適であるとの認識が共有されるようになった。こうして麦と水とホップという現代ビールの三大要素が定着することになる(右はホップの毬花)。

 16世紀になると南部のバイエルン候国でヴィルヘルム4世が有名な「純粋令(Reinheitsgebot)」を公布する。「ビールは大麦とホップと水の三つの原料以外を461px-Bierbrauer.jpg使用してはならない」との規定を核とするこの法規はバイエルン産ビールの品質を高めることに貢献し、州都ミュンヘンを世界に名だたる「ビールの都」」に押し上げることになる。この法規は20世紀までにドイツ全土に適用範囲を拡大し、その精神は現代まで連綿と受け継がれている。現在ドイツで醸造されるビールが麦100%であるのはこのためで、ビールのラベルには大抵誇らしげに「Gebraut nach dem deutschen Reinheitsgebot(ドイツ純粋令に則り醸造)」と書かれており、いかにもといったドイツ的な職人気質を感じさせてくれる。


ビールの話(1)

 ドイツ語の文法はその複雑さで悪名高いが、これは一つには名詞に3つの性(男性、女性、中性)が存在することが原因である。名詞ごとにこの性を覚えなくてはならないのはもちろん、冠詞や形容詞がこれに応じて複雑に変化する。これがなかなか面倒で、初心者にとってドイツ語の敷居が高い理由の一つとなっている。
DSCF5626.JPG ただ名詞の性にもいろいろと法則があり、慣れてくると知らない単語でもかなり推測が利くようになってくる。そうした法則の中でもユニークなのが酒類に関わるもので、アルコール(Der Alkohol)に始まって、ウイスキー、ワイン、ウォッカ、果ては日本酒(Der Sake)に至るまで、イメージ通り全て男性名詞ということになっている。しかしこの法則には有名な例外がある。Das Bier、ビールである。
 
 ドイツ人にとってアルコールの代表格であるはずのビールがなぜ中性名詞なのかについては、「ドイツ人は水同然に日常的にビールを飲むからだ」「ビールのアルコール度はドイツ人にとっては水並みに低いからだ」と、水(Das Wasser)が中性名詞であることを理由に説明されることが多いが、どうやらこれは単なる俗説らしい。真相はパン(Das Brot)が中性名詞であり、古来ビールはパンを砕いたものを水に浸して作られていたことから、同起源のものとして中性名詞となった、ということだそうである。
 
 日本ではことドイツは「ビールの国」というイメージが強い。そしてそれは決して間DSCF5927.JPG違いではなく、ビールの種類の豊富さ、質の高さ、安さということに関しては、ドイツの右に出る国は恐らくないと思う。スーパーに行けばどこでも7~80セント(日本円で120円程度)で500mlの瓶ビールが買える。文字通り水より安いこともままある。そしてそれらのビールは基本的にすべて麦100%の混ぜものなしである。日本でいえばエビスやプレミアムモルツといった高級ビール並みの品質と味を備えたビールを、二束三文で手軽に楽しむことができるわけである。
 
 先月英国に滞在していた折、ドイツ関連のもので唯一、ビールの味だけが懐かしくてたまらなかった。もちろんイギリスのビールもそれなりに有名なのだが、種類の豊富さでも質においても、率直に言ってドイツと比べられる性質のものではないと思った。なによりドイツビールは全国に遍く点在する多数の小規模自営醸造所が技を磨き続けてきた賜物で、街の酒屋に行けばレーベンブロイやパウラーナーといった大醸造所の酒と並んで必ず地元の醸造所の酒が置いてある。したがって非常に銘柄が豊富で、かつ競争も激しい。ドイツ以外の国では世界規模で展開する一部の大企業が市場を席巻しているのが日常的であるが、それに対して中小規模の醸造所が奮闘し、ビール作りの裾野が圧倒的に広く、深くなっているというのがこの国のビール事情の大きな特徴なのである。日本の造り酒屋が全国どこにでもあるのとちょうど同じような感覚だが、それらが国際的な巨大資本と質においても価格においても同等以上に渡りあっているのである。

ベルリンと米国~Bei Gelegenheit von Obamas Berliner Rede(5)

ROSPANZ20080300001-312.jpg ただ一晩明けてスピーチの内容を吟味したドイツメディアの報道は、案外に皮肉っぽいものが多い。その多くはオバマ演説の「責任の共有」の下り―とりわけアフガニスタンへのドイツ国防軍増派要請を警戒して―に神経を尖らせていた。
 またSpiegel誌のオンライン記事によれば、オバマ氏の周囲には常に米国メディアが貼り付いており、ドイツメディアに対する扱いが非常にぞんざいであったらしい。今回のオバマ氏の訪欧の第一目的が何より米国内向けに国際人としての箔付けをすることであったことを考えれば、米国メディアへの対応が最優先されたのは無理のないことだが、そうした態度は当然ながらドイツ人記者には不満だったのだろう。批判的な論調の背景にはそうした事情も幾分か反映されているように思う。(左はSpiegel紙の表紙。)
 
 ただメディアの醒めた反応の根底にはベルリンという街を取り巻く状況の変化があると思う。現在のベルリンはドイツ最大の人口を誇るが、その構成は多様で、旧東独出身者はもちろん、諸外国から移民が大量に流入するドイツきっての国際都市となっている。中でもトルコ系住民の数は圧倒的で、すでに全ベルリン市民の四分の一から三分の一を占めるに至っているという。そのような状況で「西」ベルリンの「自由と民主主義」の勝利を称揚されても、人によっては時代錯誤に思うかも知れない。
 オバマ演説で何度も引用された「大空輸作戦」の舞台であるTempelhof空港は現在でも一部の市民には伝説的な意味を持っており、市当局の老朽化と財政難に伴う閉鎖決Berlin_Tempelhof_Luftbrueckendenkmal.jpg定に対して、市民団体による反対運動が展開されていた。しかし今年4月に実施された住民投票の結果はあっけないもので、全有権者の2割しか閉鎖反対に票を入れなかった。はからずもベルリンの神話を守ろうとする人々が、すでにベルリン市民の大勢から浮いた存在になりつつあることが如実な形で示されたのである。米国によってこの街にかけられた自由と民主主義の砦という魔法は徐々にその力を失いつつある。一片の演説に酔いしれるには、今のベルリンには見据えねばならない現実的課題が山積している。(右は空港の敷地にある大空輸作戦記念碑。)
 Pressebild_Vorschau_Raue_182x128.jpg
 ベルリンでは今年3月から市の肝いりで"Be Berlin" という市民参加型の新しいイメージキャンペーンが大々的に展開されている。ベルリンで多様なバックグラウンドを背負い生活する市民たちが自身の生活や経歴をカメラの前で語り、それをつなぎ合わせていくというコンセプトで、そこで語られるのは自由や民主主義の理想ではなく、21世紀という新しい時代の只中で躍動するベルリンの素顔とそこに住まう生身の市民の姿である。(上はキャンペーンのポスター。)
 
 冷戦終結からすでに20年近い。ベルリンもようやく運命の長い手を離れて、自分の足で立つことを模索しているのである。

ベルリンと米国~Bei Gelegenheit von Obamas Berliner Rede(4)

 “A World that Stands As One“ と題された今回のオバマ演説は何より「ブッシュ政権の一国主義からの転回、大西洋関係の再構築」に重点が置かれている。ありていに言えば、その最上のダシとしてベルリンが使われている。
 
C-47s_at_Tempelhof_Airport_Berlin_1948.jpg オバマ氏は演説の冒頭でいわゆる「大空輸作戦(写真左)」の精神に言及する。1948年6月、ソ連側の西ベルリン封鎖に対抗するため、西側諸国がリスクを承知で大量の物資を西ベルリンに空輸し、この街を死守する意思をソ連側に示した。自由と民主主義の精神を守り通したベルリン市民を賛辞し、米欧の連帯の精神を強調する。
 続いてベルリンの壁の崩壊に言及しつつ、現代の国際社会におけるさまざまな課題に対処するためには米欧間の協調が不可欠であることを説く。そして協力を妨げる「新しい壁」を突き崩さねばならないと述べる。
 
「大西洋両岸をまたぐ同盟を阻む壁の存在を許してはならない。民族や人種の間に横たわる壁を許してはならない。移民と現地人、キリスト教徒とムスリムとユダヤ人を分かつ壁を許してはならない。これこそ我々が今突き崩さねばならない壁である。」
 
 そして具体的な政策課題を述べた後、アメリカ国内を意識してであろう、演説の最終部で自らのアメリカへの愛、そしてアメリカの理想こそが恐怖と欠乏からの自由を切望する世界中の人々を惹きつけてきたのだとする。そしてその理想を再びベルリンと結びつける。
2008-07-24-sun.jpg 
「この切望こそが全ての国家の運命とこの街とを結びつけているものなのだ。この願いの前には何物も我々を分かつことはできない。大空輸作戦はこの願いから始まった。すべて世界の自由なる人々が『ベルリンの市民』となったのもこの願いからだ。そしてこの願いゆえに新しい世代である我々は世界に自分たちの道標を打ち立てねばならないのである。」
 
 『ベルリンの市民』の下りは明らかにケネディ演説の借用で、演説のクライマックス、忘れた頃に自然な流れの中でさりげなく挿入してあるところがニクい演出である。
 試みにBerlinという単語が演説中に何度登場するかを確認してみたところ、30分弱の演説中実に22回言及されていた。舞台がパリやロンドンではこの頻度はち108c6a37.pngょっと考えられないだろう。
 
 演説のパフォーマンスとしてはさすがとうならせられるもので、中継を見る限りでは現地のベルリンの群衆たちの反応も非常によく、興行的には大成功と言ってよいと思う。

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HN:
Ein Japaner
性別:
男性
職業:
趣味:
読書、旅行
自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
[12/16 abuja]
[02/16 einjapaner]
[02/09 支那通見習]
[10/30 支那通見習]
[06/21 einjapaner]

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