のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
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ビールの歴史は古代メソポタミア文明にまでさかのぼるが、ゲルマン人に伝搬し定着したのは紀元前後の頃だと言われる。タキトゥスの『ゲルマニア』にビール関連の記述が残っている。
「飲料には大麦または小麦よりつくられ、いくらかブドウ酒に似て品位の下がる液がある。」
といった具合で、面白いことに既に古代ローマの時代から「ワインこそ高貴なるローマ人の飲料であり、ビールなぞは野蛮なゲルマンの酒」という意識がうかがえる。このようなイメージは同時代に広く普及していたようで、ギリシアの歴史家ヘロドトスの著書にも「エジプト人がビールなぞを飲んでるのはエジプトではブドウがないから仕方なく飲んでいるのだ」という趣旨の記述がある。
当時のビールはもちろん「麦芽からつくられる酒」という定義内でのビールに過ぎず、現在の感覚で言うビールとはもちろん別物で、どちらかと言えば穀物の摂取(調理?)方法の一環としての性格が強かったとされる。そのためビールづくりはパンと同じく各家庭ごとの女性の仕事であり、うまいビールを作る娘は嫁入りの際に重宝がられたという冗談のような話まである。
このように本来ゲルマンの庶民の生活に密着した存在だったビールは、中世の封建社会の成立とともに修道院や領主の管理下に置かれ始める。当時のビールは味付けのための添加物として薬草やハーブなど雑多な植物が用いられていたが、経験と技術が統合蓄積されるにつれ、ホップとの組み合わせが保存の面でも味の面でも最適であるとの認識が共有されるようになった。こうして麦と水とホップという現代ビールの三大要素が定着することになる(右はホップの毬花)。
16世紀になると南部のバイエルン候国でヴィルヘルム4世が有名な「純粋令(Reinheitsgebot)」を公布する。「ビールは大麦とホップと水の三つの原料以外を使用してはならない」との規定を核とするこの法規はバイエルン産ビールの品質を高めることに貢献し、州都ミュンヘンを世界に名だたる「ビールの都」」に押し上げることになる。この法規は20世紀までにドイツ全土に適用範囲を拡大し、その精神は現代まで連綿と受け継がれている。現在ドイツで醸造されるビールが麦100%であるのはこのためで、ビールのラベルには大抵誇らしげに「Gebraut nach dem deutschen Reinheitsgebot(ドイツ純粋令に則り醸造)」と書かれており、いかにもといったドイツ的な職人気質を感じさせてくれる。
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