のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
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自分は80年代初頭の生まれで、記憶にある最初の総理大臣は宮澤喜一である。小さい頃は特段政治に興味があったわけではない。しかし、小沢一郎の顔と名前はかなり早い時期から知っていたように思う。
子供心になんとなく政治に「変化」が望まれていることは感じていた。政界は如何にも旧態依然とした面をぶら下げた老政治家達が跋扈している。それらを相手に「改革」「自由」という清新な理念を掲げて立ち向かう屈強な男というイメージを、自分は彼に抱いていた。
政治に本気で関心を持ち始めた高校のころ、小沢一郎は自由党を率いて小渕内閣に参画していた。有名な「殴られる」選挙CM、「日本一新」の党是、党首討論の導入や政府委員制度の廃止、衆院定数削減などの政治改革を次々と実行する姿は、長年の闘争の結果小政党の長に成り下がった悲哀とも相まって、決意と信念の政治を感じさせるに十分なものだった。折しもその頃、自分は新保守主義や新自由主義に傾倒していた。子供の頃の漠然としたイメージは知識と思想で固められ、自分の中で「不屈の改革者」としての小沢一郎像が確立していった。
はじめて『日本改造計画』を読んだのは大学に入ってすぐだったと思う。正直、当時の自分の知的水準では十分に消化吸収できなかったのだろう、強い印象は残っていない。何より当時は小泉政権が誕生し、また9.11テロ事件が発生して、自分の眼はそちらに釘付けになっていた。外交安全保障に関心が偏っていたこともあり、「国連待機軍」構想の非現実さばかりが鈍く記憶に刻まれた。そしてこの頃から小沢氏の「左旋回」が徐々に加速化されていく。それと同時に、自分の中の「改革者」としての小沢一郎像も、次第に色褪せていった。
有名な「グランドキャニオンのたとえ」で始まる本書のキーワードは「自由」と「責任」である。これらは単に政治・政策を貫く改革思想であるのみならず、日本社会や民主主義の在り方そのものを根本的に問い直す概念として、本書の背骨をなしている。
個別の政策について言えば、外交安全保障に関してはこの20年の国際社会の流れがあまりに急激であったこともあろう、前述の「国連待機軍」をはじめ、今から見ればやや凡庸な印象を免れえない。その他内政面でも「内需拡大のために大規模な社会資本整備を行うべき」等、田中角栄のDNAをそのまま受け継いだかのような記述も見られる。
しかし全体的に見れば、その政策は現在でもさほど古さを感じさせない。一極集中の弊害を回避するための地方分権や少子高齢化への警鐘、そのための間接税中心の税財政改革、事前規制の「管理型行政」から事後規制の「ルール型行政」への脱却の必要性など、多岐にわたる政策群が密度濃く詰め込まれている。
とりわけ自分が感嘆させられたのは、第一部の政治改革に関する記述である。そこで提示された官邸機能強化、政官関係の再整理、国会改革、小選挙区制の導入や政党改革のくだりは、そのまま現在でも通用するのではないかと思えるほど、鋭く55年体制下の自民党政治に巣食う病理の本質を抉っている。
一言でいうなれば日本的な「新保守主義」の宣言ということなのだが、そのエッセンスを思想政策両面でこれだけ簡潔にまとめ、分かり易く筋道立てて説明している本はなかなかないのではないか。
世上言われるように、この著書が本当に全て小沢氏の手によるものかは疑わしい。個々の政策に官僚臭さが漂っているのは一読すれば明らかである。しかしその根底にある思想は、20年を経た今でも、この国の政治社会のあり方への本質的な問題提起として、有効性を失っていないと言ってよい。
それは一面ではこの間の日本政治の停滞を示唆するものでもある。小泉政権による「改革の季節」が過ぎ、日本政治が混迷のただ中に突き落とされる中で、再び小沢一郎は日本政治の中心に浮上した。そして氏の宿願であった政権交代は成った。しかしその政治改革構想はまだ道半ばであり、半ばにして小沢氏の権力政治家としての一面が時代の容れるところとなくなって、世間の非難にさらされる事態となっている。
少なくとも「政治改革」に関する限り、小沢氏は本書執筆時の信念を棄て去っていない。すでに自分の中で光芒を失ったかに思えた小沢一郎という政治家が、再び自分の関心を大きく掻き立てている。この際、もう一度この政治家について考え、整理するきっかけとしたいと思い、今一度本書を手にとった次第である。
もう一ヶ月前の話だが、参議院選挙が終わった。当初「現実主義者」として人気を集めた新総理が、実は単なる「日和見主義者」であることが露見するまでにかかった時間は、想像以上に短いものだった。どうも民主党は、鳩山政権であれだけ手痛い教訓を突き付けられていながら、それから何も学ばなかったらしい。
言ったことは守る。守れないことは言わない。民主主義下の政治指導者のイロハだと思うが、沖縄問題に続き、消費税という国民生活を直撃する極めて機微な政治課題において、彼らはこれを守ることができなかった。半ば予想通りではあるが、民主党はやはり相当統治能力に問題がある。
醜いのは新政権のとってつけたような与野党協調路線、親官僚路線、党内融和路線である。昨年の選挙で国民が民主党に託したのは「変化」への思いと言って良い。ここに来て政権維持に心が傾き、あたりかまわず既成勢力に媚を売る政権に、誰が「変化」を期待できるだろうか。
政権交代の最大の意義が自民党の解体であることは以前触れた。民主党に統治能力がなくても、自民党の息の根を止めることができれば、それだけでこの国の政治は大きく変わる可能性がある。しかし自民党は参議院選挙の勝利で生まれた「ねじれ国会」に九死に一生を得た形である。求心力を回復した谷垣自民党を前に、政権交代を契機とした日本政治行政の抜本的変革は既に勢いを失いつつある。これでまた政策を軸とした政界再編の動きは遠のくことだろう。
唯一の好材料は「政策原理主義」政党たるみんなの党の政党支持率が急進していることだが、自民党の息の根が止まらない以上、次の衆院選前に与野党がそろって分裂する展開は考えにくい。次の選挙の時期も不透明である。
この国に余力がある時代ならば、こうした混迷も大きな変化の前触れだとして、腰を据えて長い目で見守ることもできたかもしれない。しかしもはや悠長に構えていられる状況ではない。財政危機はそうした日本の危機的状況をもっとも端的にあらわしている。政治においても持ち時間は決して無限ではないという当たり前の事実を、そろそろ我々も直視しなくてはならない。
五十五年体制下に全盛期を謳歌した守旧派の政治家たちは、「国民の代表」「国民の声」という言葉が大好きだ。この言葉の裏には色んな含意があるのだろうが、一つには常日頃から国民と直接対話する機会をふんだんに持つことで、国民の要望を吸い上げ、その感覚を理解し、民主主義におけるパイプ役を果たしているという自負、二つには、少しシニカルな見方だが、政策形成能力を霞が関に全面委託してきた劣等感の裏返しでもあるのだろう。
自民党の長期政権の下においては、それで大きな問題はなかった。対抗勢力のいない永田町を拠点に社会のあらゆる分野に触手を伸ばし根を張ってきた自民党にとっては、「(与党である)自民党支持者の声」と「国民の声」に大きな「ズレ」はなかった。その意味で地元で自らを囲む支持者たちの声に真摯に耳を傾け、彼らに素朴な利益を斡旋仲介してやれば票は獲れた。豊かな日本の経済成長の果実が、その歪んだ構造を可能にした。
この「ズレ」はすでに90年代の初めから少しずつ明らかになり始めていたのだと思う。ただ、自民党の死が突然ではなく実に緩やかに進行したことが、これら政治家に事態の深刻さを気付かせる契機を奪った。一部の鋭敏な感覚を持つ政治家たち―それは大抵政策に通じ、党内で異端と捉えられていた政治家たちである―は、この地殻変動に気づき、「改革」を試みたわけだが、党内政治においてそれは大きな支持を広げるに至らなかった。結果、昨年の夏、自民党は劇的な形でその報いを受けた。
民主主義が選挙民の「声=票(Stimme)」を巡る闘争である以上、その「声」への感度を失った政治が生き残る術はない。そしてその感性でもって社会のあらゆる領域の「声」を掘り出し、組織化することで自己の権力基盤の強化につなげていくのが五十五年体制下の自民党の真骨頂だったわけである。
しかし今の自民党は、これだけ明白な形で国民から否を突き付けられた後でも、相変わらず自分たちと運命を共にする(あるいはしてきた)支持者たちの声にしか耳を傾けていない。悪いことに先の選挙で生き残ったのが守旧派の政治家ばかりだったこともあり、捻じれた成功体験が党全体としての世論への感度を鈍らせてしまっている。
この落胆は今回の「与謝野新党」の動きを見て一層深いものになった。厳密にいえば彼らはもはや自民党の人間ではないのだろうが、彼らの行動を支える内在的論理はやはり五十五年体制下の政治家のそれだと言えよう。彼らは財政再建のための増税や郵政民営化という、五十五年体制を象徴するような政策軸の相違を棚上げにして、「新党」の響きだけで国民の声を得ることができると本気で考えているのだろうか。
「第三極」という言葉で非自民、非民主の新党を立ち上げればどこからともなく「風」が吹き、国民の支持が得られると思っているのなら、それは大きな過りである。「みんなの党」が支持を集めているのはそれが単なる「第三極」だからではない。自民でも民主でももはや実現を期待できない新保守・新自由主義的の単純明快な政策の対立軸を固め、小泉構造改革路線の唯一の継承者としての認知度を高めているからである。
政策的にいえばまさしく与謝野氏と谷垣氏との間にほとんど違いはない。二人とも小泉政権では財務官僚寄りの財政再建派として存在感を示していた。平沼氏はお馴染み反郵政民営化の旗手であり、国民新党に合流すべき位置づけである。
自民党の政治家達が今力を注ぐべきは、自分たちのアンテナの故障を正面から認め、野党としての新たな票田を求めて再チューニングを行うことである。国民が望んでいるのは90年代初頭のような上っ面の新党ブームや離合集散ではない。この国の古ぼけた権力構造を遥か天空から打ち落とし、地上に叩きつけて粉砕することである。小泉政権の時代から連綿と続くこの大多数の無党派層のフラストレーションを未だ正面から受け止めることができず、ピントのずれた「第三極」を演出すれば票を集められると安易に考えているとしたら、この国の五十五年体制下の政治家たちが誇るところの「政治感覚」なるものの質も、もはや末期の状態にあると言わざるを得ない。
日本では年の瀬が近づいていることもあって鳩山政権100日のレビューが盛んである。実はドイツでも10月の新政権成立以来政治的には面白い出来事がたくさんあったのだが、現地で気軽にドイツ語の情報に手を伸ばすことができない現状ではどうしてもドイツ関連のエントリーをまとめるのは時間がかかるので、怠け怠けてここまで先延ばしにしてきてしまった。
このブログのそもそもの読者層はドイツに興味がある人たちであり、最近ドイツ関係の記事が少ないじゃないかとのご指摘?も頂いてしまったので、今回から断続的ではあるが現メルケル政権の閣僚を一人一人紹介していく形で現在のドイツ政治の課題をおさらいしておくことにしたい。
ちなみにドイツにおいては一旦首相の手により大臣が任命されその所掌分野と大方針が指定された後は、基本的にその政策における第一義的な責任は大臣が負うという原則が強い(Ressortprinzip)。現在のメルケル首相が調整型の政治家であることも相まって、基本的に重要政策においてスポットライトを浴びる存在はその所管の大臣であるというのがドイツの政治文化であり、従って大臣ごとに政策を追っていけばそれなりに網羅的なレビューが可能になるのではと思う。
ということで、まず一番手はヴォルフガンク・ショイブレ(Wolfgang Schäuble、CDU、1942-)財務大臣である。
現政権の最重要課題の一つが、連立相手であるFDP(自由民主党)が主張する減税政策と経済危機に対応するための財政出動とのバランスをどのように取るのか、膨張する財政赤字の健全化に向け、どういった具体的な筋道をつけていくのかという問題である。
このコワモテの保守政治家は前政権では内務大臣を務め、テロリスト対策のためにインターネット上の網羅的な情報捜査や予防拘禁を可能にする法案を提出したり、ハイジャックされた民間航空機をドイツ連邦軍の投入により撃墜できるような憲法改正を行うべきとの主張を行い、ただでさえ左翼的なドイツ世論から強い批判を浴びた。
いわばメルケル政権の憎まれ役を演じ続けてきたわけだが、意外なことに世論調査での彼の政治家としての評価は決して低くない。一貫した保守的信念でもってブレない政策を遂行してきたことが評価されているのだろう。
今回のメルケル政権の人事のうち、このショイブレ大臣の横滑りは最大のサプライズであると受け止められている。ただ、連立相手からの減税要求をはねつけ、国民から不興を買うことも覚悟で財政再建路線を断行するという点においては、これほど適任な政治家はいないという、概ね肯定的な評価がなされた。
ショイブレはおそらく典型的な古い型のCDU政治家であり、今回のメルケル内閣においても唯一の戦前生まれで、突出して高齢である。かつてはコール政権後のCDUを担う首相候補として権勢を極めたが、献金問題で躓き、当時無名だったメルケルに党内の主導権を握られた。しかし彼の政治的キャリアはそこで終わらず、いわばCDU政権のご意見番的な位置づけとして、重要な政策課題を持ち前の頑固さでこなし続けている。
憮然とした表情と語り口、誰の手も借りず自分で車いすを転がし、静かに去りゆくその後ろ姿は、まさしく「老兵」と呼ぶにふさわしい風格を備えている。
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