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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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マッド・サイエンティストの原型(1)

 『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』 は、スタンリー・キューブリックの名作として名高い。米ソ冷戦下における「核の均衡」の脆弱性を辛辣に嘲笑し戯画化した、底意地の悪いブラックユーモア映画である。

5a79b072.jpeg この映画の中で最も印象的な登場人物はやはりDr. Strangeloveだろう。映画の表題にもなっているこの人物はナチス崩壊後アメリカ政府に雇われた科学者という設定で、本筋においてさほど重要な役回りを演ずるわけではないが、そのあくの強いキャラクターで見るものに忘れがたい印象を残す。米大統領に対し何度も「総統(Führer)」と呼び掛けたり、右手でナチ式敬礼を行おうとしたり、喜々として優生論な人類生存計画を説明する様はまさに「マッド・サイエンティスト」という言葉がぴたりと当てはまる。
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 この「知能は並はずれて高いがそれと反比例して倫理観が欠如している」科学者というステレオタイプの起源については諸説あるそうだが、ゲーテの戯曲化で有名なゲオルグ・ファウスト(Johann Georg Faust)博士もその一人であるという。真実の探求のために魔術に手を出し、召喚した悪魔メフィストフェレスと契約し魂を奪われるたという伝説は、もちろん真実に忠実な求道者の物語として同情的に捉えることも可能だが(実際、ゲーテはそのような描き方をし、最終的に彼の魂を救済させている)、逆に科学的真実探究のためには規範や倫理を従属させるという危うさをはらんだ人物として見ることもできる。

 第二次世界大戦前までのドイツは言うまでもなく、世界トップレベルの科学技術大国であった。現代物理科学の二大潮流である相対性理論も量子力学もドイツ語圏の科学者の着想であるし、応用科学においてもガソリン自動車や飛行船、潜水艦などを大々的に開発導入したのはドイツである。とりわけナチス時代には軍事関連技術の開発に従事した科学者が数多く存在した。それら優秀な科学者の多くは戦後もアメリカやソ連本国に移住し、米ソ軍事競争を支える原動力d579170d.jpegとなったのである。
 その中で恐らく最も著名なのがヴェルナー・フォン・ブラウン(Wernher Magnus Maximilian Freiherr von Braunである。ナチス時代にはいわゆるV2ロケットの開発に成功した新進気鋭の若手科学者としてヒトラーの信頼が厚く、ブッヘンヴァルト収容所のユダヤ人らを過酷な労働環境の下で使役して同ロケットの大量生産の指揮を執ったが、大戦後はアメリカにわたって一転米国の宇宙開発計画に協力し重要な役割を果たした。一節ではストレンジラヴ博士のモデルではないか、といわれている人物である。

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Der Papst gegen die Bundeskanzlerin 教皇の蹉跌(4)

 戦後ドイツ連邦共和国の歴史は間違いなく「成功物語」として国民に認識されている。それは日本にように単なる経済発展による豊かさと平和を実現しただけではなく、ナチスという暴虐を生み出した同じ民族がわずか60年で世界でも最高水準の民主主義を実践する国家を立ち上げ安定させることができたという政治面での成功という文脈が強い。現在もドイツ人は民主主義や人権、法の支配、男女平等、社会保障の充実といった課題のさらなる増進に余念がないし、その「敵」ーとりわけ右翼勢力ーに対する敵愾心は根強い。本来政治制度としては無色透明であるはずの「民主主義」が、この国では「ドイツ連邦共和国的民主主義」とでも言うべき価値観の総体となって、社会全体に浸透しているのである。

 こうした状況はCDUという、「キリスト」の名を冠する保守政党においても状況は似通っている。アデナウアー以来のキリスト教的価値観とドイツの伝統的価値観を体現するこの政党も、長く政権を担い、また戦後世代が社会の中心を占めるにつれ、次第に「ドイツ連邦共和国的民主主義」の価値観に軸足をシフトしていったように見える。何より旧東側出身のプロテスタント、離婚歴のある物理学者で戦後生まれ若干54歳の女性宰相アンゲラ・メルケルのユニークな人物像が、この保守政党の性格の変化を雄弁に物語っている。

 対して、ヨゼフ・アロイス・ラッツインガーは、警察官の父を持ち、ヒトラー・ユーゲントの一員として動員を経験し、大学教授として学生運動に対峙したという、ドイツ保守的伝統の残り火のような経歴を有している。その意味で今回の騒動は単にドイツ政府対バチカンという構図のみならず、ドイツの新旧世代の価値観の衝突、すなわち「ドイツ連邦共和国的民主主義」対「ゲルマン家父長的保守主義」という側面を持っていたと見ることもできよう。

 もちろん、メルケル首相も無傷であったわけではない。とりわけ南部出身のカトリックを基盤とするCDUの保守勢力からは「行きすぎ」との批判が強く、教皇には批判的だったドイツ司教たちもメルケル発言には激しく反発し、発言の撤回を求めたりしている。無党派層が増加する政治状況でカトリック教徒はCDUの貴重な地盤であり、今年が選挙の年であることを考えれば一部の党員が不用意な発言と捉えたのも十分理解できる。

 ただ、全体としての「綱引き」の勝敗はかなり明快な形でメルケルの勝利に終わったことは確かである。メルケル首相の発言があった直後、保守系新聞として有名なフランクフルター・アルゲマイネの社説がこの問題を扱っていた。喫茶店で読んだので原文はもう手元にないが、概ね以下のような内容だったと記憶している。

「教皇がキリスト教世界の代表であるのと同様、メルケル首相は市民社会で長らく育まれてきた価値観の総体としてのいわゆる『市民宗教』の代表であるのだ。両者は対等な立場としてお互いを批判し議論する権利がある。ましてやキリスト教は教会税などのかたちで政府から様々な恩恵を被っているのだから、メルケル首相が教会側を批判したからと言って、一概に政教分離の原則を持ち出してそれを非難することは正しくない...」

私が今回のエントリーを書くきっかけとなるインスピレーションを与えてくれた記事である。この二つの世界観の戦いにおいて、目下のところ「市民宗教」がキリスト教を抑え込みつつあることは否定できないであろう。「市民宗教」の代弁者たるドイツのマスメディアは事あるごとに「キリスト教の保守性」を批判する。恐らくそうした要求を真正面からはねつけるだけの権威と体力はもはやキリスト教には残っていない。ドイツのカトリック司教たちは恐らくバチカンの幹部たちよりも、その現実の厳しさを正確に理解していたといえる。しかし、ならばといって、男女の役割分担を否定し、進化論を肯定し、離婚や中絶に寛容で、コンドームの使用を奨励する「進歩的な」キリスト教に、果たして宗教としての玄妙な魅力が残りうるのだろうか。

 聖書と伝統をおろそかにすることを覚悟の上で自らを希釈し西欧社会の代表者としての地位を維持するか、それとも教義と価値観の保全を重視し戦略的撤退を甘受するか。恐らく決して新しい問いではない。しかし今回の騒動に奔走するバチカン幹部の脳裏を幾度かかすめたであろう、根源的な、厳しい問いかけである。


Der Papst gegen die Bundeskanzlerin 教皇の蹉跌(3)

eaecd095.jpeg 今回の騒動を厳しく糾弾したシュピーゲル(Der Spiegel)紙の表紙には、大きく手を広げて笑みを浮かべる教皇の姿の上に大きく"Der Entrückte"という表題がつけられていた。和訳すれば「隠遁者」「浮世人」といったニュアンスだろうか。事件の発端当初から教皇も教会も事態をそれほど深刻にとらえていなかった。関係者の話によると教皇はマスコミの批判など意に介していないがごとく上機嫌で、バチカン幹部も時が経てば過熱した報道合戦も自然と収束すると考えていたという。

 しかし実際に教区民から厳しい批判にさらされたドイツの司教たちにとって事態は切迫していた。何の具体的な措置も取らないバチカンに対するドイツ司教たちの批判の声は日増しに高まり、事態は一向に鎮静化の傾向を見せなかった。バチカンの対応は常に後手に回り、一か月後に追い込まれるような形でウィリアムソン牧師にホロコースト否定論の撤回を要請することになった。
 結局2月末にはウィリアム牧師が「エセ歴史家の説に惑わされた」「自分の言葉で多くの人の怒りを招いたことを神の前で許しを請いたい」と述べ、事実上の前言撤回と謝罪を行ったため、この問題は一応の区切りをつけた。しかし事件以来、長年抑えてきたタガが外れたかのようにドイツメディアの教皇の発言や行動に対する「監視」の眼は厳しくなり、教皇の保守的な発言や行動は逐次批判的な報道に曝されている。カトリックの全面敗北と言って過言ではないだろう。
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 この一連の騒動の中で最も耳目を集めたのは、メルケル首相が曖昧な対応に終始する教皇を正面から批判したことである。「教皇と教会は、ホロコーストの否定はあってはならないという立場を鮮明にせねばならない」と、ドイツという大国の政府首脳が明確な形で宗教団体の内部事項に介入したのである。
 本来一国の政府の首長が特定政治団体の人事案件に介入するのは政教分離の原則からすると異例のことである。それだけにこのメルケル首相の発言の衝撃は相当大きかったようで、カトリック内部では「ドイツ国内で反カトリックの嵐が吹き荒れている」との深刻な危機感を生みだし、結果として教皇のウィリアムソン牧師に対する前言撤回要求につながる大きな契機となった。メルケル自身の言葉の力というよりも、首相をここまで踏み込ませるドイツ世論の沸騰ぶりにバチカンは衝撃を受けたわけである。

 本来、民主主義という政治制度自体は決して反宗教的なものではない。むしろ民衆の思想の色に対しては無節操なまでに中立的で、宗教勢力が強い民主主義社会で宗教勢力が政治権力を得るのは当然の理屈である。ただそれは政治の宗教化のみを意味するのではなく、反作用としての「宗教の政治化」を意味する。政治が宗教的価値観に引きずられるのみならず、宗教が政治の価値観に引きずられ、倫理と世界観の保存者としての機能が権力維持という現実的課題の前にないがしろにされる危険性が常に内包されている。

 メルケル首相を擁するドイツ最大の保守政党の名は、言うまでもなく「キリスト教」民主同盟(CDU)であり、設立当初からキリスト教を明確な地盤として発展してきた政党である。この国の民主主義においてはこのCDUをはじめ様々な媒体が政治と宗教の距離を縮め、境界をあいまいにしている。それは言いかえれば、世俗を担う政治家達が宗教を世俗の世界に引きずり、宗教を担う聖職者たちが政治を自らの世界観に縛りつけようとする、綱引きの風景である。

 私は、今回のメルケル首相の教皇に対する「指導」が、今のドイツでこの綱引きの力関係がどちらに傾きつつあるのかをかなり明確な形で示しているのではないかと感じた。そして何よりドイツにおいては「政治」の側が単に「世俗」を代表しているだけでなく、それ自体一つの強力な「倫理・世界観」の担い手であるという事実を忘れてはならない。すなわち、ドイツの民主主義は単なる政治制度としての無色透明な民主主義ではなく、明確な敵と目標を備えた「戦う民主主義」であるという事実である。


Der Papst gegen die Bundeskanzlerin 教皇の蹉跌(2)

richard-williamson_250.jpg  問題の発端はカトリック教会内の復古主義勢力「ピウス信心会(Piusbruderschaft)」に属するリチャード・ウィリアムソン(Richard Wiliamson, 左)というイギリス生まれの牧師である。この「ピウス信心会」という組織は1970年に設立された比較的新しい団体なのだが、時の教皇ヨハネ・パウロ2世の改革路線に反対し、伝統的なカトリック価値観への回帰を掲げ、キリスト教価値観に基づいた社会・国家の再生を求めている, いわばカトリック原理主義者の集団と言ってよい。離婚や同性愛の否認はもちろん、女性は大学で学ぶべきでないとか、啓蒙主義や人権概念は誤りだなどといった、いささか浮世離れした古色蒼然たる主張を行ってきている。

  その中でウィリアムソン牧師はいわゆる「ユダヤ陰謀論」に強くコミットしてきた人物とされる。以下は1989年に同氏が行った演説の抜粋である(Spiegel Onlineの独文記事抜粋を和訳)。

「ガス室で殺されたユダヤ人なんて一人もいない!そんな話は全て嘘、嘘、嘘だ!ユダヤ人は我々が恭しく膝を屈して新国家イスラエルを承認するように仕向けるため、ホロコーストを発明したのだ!」  

  まるでイスラム原理主義者と見紛うばかりの発言である。
  最も直近かつ問題となったのは去年12月、スウェーデンのテレビ局とのインタビューの際の以下の発言である。(インタビューを和訳。)

「私はガス室があったとは思わない…20~30万人のユダヤ人がナチスの収容施設で死亡したとは思う。しかし誰もガス室では死んでいない。」

  こちらは前掲のものに比べると幾分トーンが落ちており、「ユダヤ陰謀論」を前面に押しだすような雰囲気はない。だがこのインタビューが今年1月に放送されると、ドイツ国内に飛び火して大きな批判を巻き起こした。

  同氏の破門はこれ以前の1988年のことである。しかしその原因は少なくとも直接的には彼の思想にあるわけではない。この破門はピウス信心会の設立者であった人物が教皇の意志を無視して勝手に同会に所属するウィリアムソン牧師以下4名を司教に叙階したことに対する懲戒処分として行われた。叙階を与えた側、受けた側の合計6名にまとめて破門が言い渡されている。狭く見れば教会の叙階制度をめぐるトラブルに過ぎないが、広い文脈でいえばリベラル路線をひた走る当時の教皇ヨハネ・パウロ2世と原理派との対立が噴出した事件、と捉えることもできよう.

  この破門命令がピウス信心会の働きかけにより撤回されることになった。その時期がよりによって今年1月、時間関係でいえば上述のウィリアムソン牧師へのインタビューが流れる直前というタイミングになってしまった
のである。ただ、ウィリアムソンのインタビューの内容自体は波紋撤回命令の2日前にシュピーゲル紙が報じていた。後の報道によるとこの破門撤回を命じた教皇自身はウィリアムソンが悪名高い「反ユダヤ主義者」であることを知らなかったという。つまりバチカン内部ではあくまで「ピウス信心会との和解」が主要関心事項であり、誰もこの破門撤回命令がホロコースト否定との関係でここまで大きな波紋を呼び起こすことになるとは予測しておらず、教皇にこの問題点を指摘し再考を促す人物がいなかったのである。これ以上ない「間の悪さ」が祟った結果とはいえ、少なくとも現バチカン政府の鈍感さは責められてよいだろう。

  ただ、以下は個人的な見解だが、いわゆる「ガス室のウソ」についてはそれを主張する学者が現在も一部存在することはよく知られている。氏の過去の発言等を総合してみれば「反ユダヤ主義」と言ってよいだけの傾向が読み取れるのは確かだが、しかし「ガス室はなかった」というだけで悪魔のような批判を受けるのは行き過ぎではないか、少なくとも学問的な論戦を挑み屈服させるべきではないか、と思ったりもする。

   だが現在のドイツでそのような理屈が通る余地は皆無である。インタビューの収録地がドイツ国内のレーゲンスブルクだったので、放送直後より同地の検察は捜査を開始した。ドイツでは「ホロコーストの否定」は最大のタブーであり、刑法犯(国民扇動罪)だからである。学問的に検証してユダヤ人虐殺の根拠を揺るがすことなど許されない。現在でもしばしば思い出したようにその手の発言をする政治家や学者がいるのだが、表沙汰になった途端メディアの集中砲火を浴び、運が悪ければ逮捕され、社会的に抹殺されるのが通例となっている。

   以前からベネディクト16世に関しては、前任者ヨハネ・パウロ2世の輝かしい改革者としてのイメージと比べ、その保守的な言動や隠遁者的な統治スタイルのために、リベラル好きのドイツ人から不興を買うことが多かった。そんな中、よりによってドイツ人教皇が「ホロコースト否定論者」を赦免したというから、ドイツメディアは一斉に教皇批判に打って出ることになったのである。

帰国決定

 ここ数カ月いろいろと雑務に振り回され、いまいち集中して情報を集めたり日本語の文章を練ったりする気分になれず、結果ずるずると長期間放置してしまった。

 定期的に本ページをのぞいて拙文を読んでくださっている皆さんにはまことに申し訳ないことをしたと思う。この場を借りて心よりお詫び申し上げます。

 急な話になるが、この夏でもって留学を切り上げ、日本に帰ることになった。

 なんやかやで2年もの長期間異国に住んでいると、理由もなく無性に日本が懐かしくなる瞬間が増えてくるが、いざ帰国の日程が具体的な現実として飛び込んでくると、不思議なことに今度はドイツを去ることが非常に寂しく感じられる。語学力が全く不完全な状態にとどまっていることをはじめ、自分はまだ様々な意味においてドイツという国、ヨーロッパという世界を理解し消化しきれていない。こうした半端な状態でこの地を去らねばならないのは、正直忸怩たる思いがする。

 そうした気持ちのせいか、一時期は気に障ることばかりだったように感じたこの国の様々な生身の事物が、今となってどこか郷愁を誘う淡い景色として眼に映るようになってきた。思い返せば入国直後のドイツは未知と新奇さに満ち溢れていて、妙に明るい映像として記憶に刻まれている。季節は同じだが今の自分の眼に映るのはいわば光衰えゆく秋さびた風景である。

 自分は秋は嫌いな方ではない。ただそうした時の移ろいを思う時、この国で過ごす残りの一日一日を丁寧に磨きあげていかねば、との思いを日々新たにさせられている。

 このブログの扱いをどうするかについても考えた。本来の趣旨からすればこれを機に閉鎖するのが筋かもしれないが、自分の怠け癖とリサーチ力の低さのせいで、実は書きたいと思って書けなかったネタがまだ山ほどあり、その意味でこのブログ自体も到底自分のドイツ・ヨーロッパに対する考えをまとめられているとは言えず、非常に中途半端な形にとどまってしまっている。また帰国したら最後、かなり忙しい毎日になることが予想されているので、おそらく強い意志で問題意識を継続していかない限りはドイツやドイツ語とのつながりや関心も日常に埋もれ知らず知らずのうちに消失していくだろう。それはさすがにもったいない。

 初志を貫徹するという意味でも、ドイツへの関心を維持するという意味でも、定期的にこのブログを更新することをノルマとして自分に課すことは決して無意味なことではない。また一端日本に帰国してから改めて気づかされるドイツの特質というものもあろう。それはまたかつての独国帰りの先輩達の感情を違った意味でなぞることでもある。結局そういう結論に至った。

 ということで、ぐだぐだと御託を並べましたが、とりあえず自分の納得できるところまで、帰国後もこのブログを続けていくことにしました。
 おそらく更新頻度、情報量、質、すべての面でドイツ時代より不十分なものとなるでしょうが、今後とも「独国雑感」を楽しんでいただけると幸いです。

Ein Japaner 拝

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HN:
Ein Japaner
性別:
男性
職業:
趣味:
読書、旅行
自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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