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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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Der Papst gegen die Bundeskanzlerin 教皇の蹉跌(4)

 戦後ドイツ連邦共和国の歴史は間違いなく「成功物語」として国民に認識されている。それは日本にように単なる経済発展による豊かさと平和を実現しただけではなく、ナチスという暴虐を生み出した同じ民族がわずか60年で世界でも最高水準の民主主義を実践する国家を立ち上げ安定させることができたという政治面での成功という文脈が強い。現在もドイツ人は民主主義や人権、法の支配、男女平等、社会保障の充実といった課題のさらなる増進に余念がないし、その「敵」ーとりわけ右翼勢力ーに対する敵愾心は根強い。本来政治制度としては無色透明であるはずの「民主主義」が、この国では「ドイツ連邦共和国的民主主義」とでも言うべき価値観の総体となって、社会全体に浸透しているのである。

 こうした状況はCDUという、「キリスト」の名を冠する保守政党においても状況は似通っている。アデナウアー以来のキリスト教的価値観とドイツの伝統的価値観を体現するこの政党も、長く政権を担い、また戦後世代が社会の中心を占めるにつれ、次第に「ドイツ連邦共和国的民主主義」の価値観に軸足をシフトしていったように見える。何より旧東側出身のプロテスタント、離婚歴のある物理学者で戦後生まれ若干54歳の女性宰相アンゲラ・メルケルのユニークな人物像が、この保守政党の性格の変化を雄弁に物語っている。

 対して、ヨゼフ・アロイス・ラッツインガーは、警察官の父を持ち、ヒトラー・ユーゲントの一員として動員を経験し、大学教授として学生運動に対峙したという、ドイツ保守的伝統の残り火のような経歴を有している。その意味で今回の騒動は単にドイツ政府対バチカンという構図のみならず、ドイツの新旧世代の価値観の衝突、すなわち「ドイツ連邦共和国的民主主義」対「ゲルマン家父長的保守主義」という側面を持っていたと見ることもできよう。

 もちろん、メルケル首相も無傷であったわけではない。とりわけ南部出身のカトリックを基盤とするCDUの保守勢力からは「行きすぎ」との批判が強く、教皇には批判的だったドイツ司教たちもメルケル発言には激しく反発し、発言の撤回を求めたりしている。無党派層が増加する政治状況でカトリック教徒はCDUの貴重な地盤であり、今年が選挙の年であることを考えれば一部の党員が不用意な発言と捉えたのも十分理解できる。

 ただ、全体としての「綱引き」の勝敗はかなり明快な形でメルケルの勝利に終わったことは確かである。メルケル首相の発言があった直後、保守系新聞として有名なフランクフルター・アルゲマイネの社説がこの問題を扱っていた。喫茶店で読んだので原文はもう手元にないが、概ね以下のような内容だったと記憶している。

「教皇がキリスト教世界の代表であるのと同様、メルケル首相は市民社会で長らく育まれてきた価値観の総体としてのいわゆる『市民宗教』の代表であるのだ。両者は対等な立場としてお互いを批判し議論する権利がある。ましてやキリスト教は教会税などのかたちで政府から様々な恩恵を被っているのだから、メルケル首相が教会側を批判したからと言って、一概に政教分離の原則を持ち出してそれを非難することは正しくない...」

私が今回のエントリーを書くきっかけとなるインスピレーションを与えてくれた記事である。この二つの世界観の戦いにおいて、目下のところ「市民宗教」がキリスト教を抑え込みつつあることは否定できないであろう。「市民宗教」の代弁者たるドイツのマスメディアは事あるごとに「キリスト教の保守性」を批判する。恐らくそうした要求を真正面からはねつけるだけの権威と体力はもはやキリスト教には残っていない。ドイツのカトリック司教たちは恐らくバチカンの幹部たちよりも、その現実の厳しさを正確に理解していたといえる。しかし、ならばといって、男女の役割分担を否定し、進化論を肯定し、離婚や中絶に寛容で、コンドームの使用を奨励する「進歩的な」キリスト教に、果たして宗教としての玄妙な魅力が残りうるのだろうか。

 聖書と伝統をおろそかにすることを覚悟の上で自らを希釈し西欧社会の代表者としての地位を維持するか、それとも教義と価値観の保全を重視し戦略的撤退を甘受するか。恐らく決して新しい問いではない。しかし今回の騒動に奔走するバチカン幹部の脳裏を幾度かかすめたであろう、根源的な、厳しい問いかけである。

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三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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