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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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マッド・サイエンティストの原型(2)

 フォン・ブラウンはプロイセン地主の次男として生まれ、幼い頃から音楽と自然科学に優れた資質を示したという。幼少期から手製のロケットを飛ばしたり、宇宙飛行に関する書籍に夢中になったりと、宇宙空間に至るロケットの開発は文字通り彼にとって子供の頃からの夢であった。
 
 1932年にベルリン工科大学を卒業したブラウンは陸軍兵器局に職を求める。この間、彼の研究対象は一貫53759a31.jpegして液体燃料ロケットであった。彼がベルリンで研究にいそしんでいた時期はちょうどドイツのナチ化の時期と重なっている。ブラウンのナチ入党は1938年のことであり、決してヒトラーの賛美者であったというわけではない。ただ時代が彼の才能を必要とした。ブラウンのロケット研究に強い関心を示したナチスによって、彼はドイツ北岸のPenemuende(ペーネミュンデ)の軍事実験施設に配属され、地対地弾道ミサイルの開発研究に没頭した。

 1944年、彼の手によって開発されたロケットはVergeltungswaffe2「報復兵器2号」と称され、ロンドンを襲った。このいわゆるV2ロケットは、人類史上初めて宇宙空間に到達したとされる発射物である。音速を超えるV2ミサイルの迎撃も予測も不可能で、唐突に市内に炸裂するという性質は、市民に大きな心理的恐怖を与えたという。大戦終了までイギリスやベルギーを中心に合計3200発が投入され、8000人近い市民が犠牲になった。ただよく知られている通り、戦略的にはほとんど意味のない兵器であった。
 
 このV2ロケットの量産に当たり、ナチスはブッヘンヴァルト収容所近郊に秘密建造施設を建設し、週四所のda4b5a7a.jpeg囚人を清算作業に従事させたという。真偽は定かではないが、一説によればブラウンは自ら現地で生産に当たる囚人を選別し、ロケット量産の指揮を執ったとされる。のちにブラウンがアメリカで名声を博した際、この時代を知る収容所の生き残りの人々が激しい抗議運動を展開した。ブラウン自身は晩年に至るまで「収容所の悲惨な労働環境については知らなかった」と述べたという。このDora-Mittelbau付属収容所ではおよそ2万人が命を落とした。今日とりわけ厳しく批判される点である。
 
 戦争終結間近、ブラウンはソ連の占領を逃れ、ドイツ南部に避難し、そこに進駐してきた米軍と接触する。当時米軍は「曇天作戦(Operation Overcast)」と呼ばれるドイツ科学者のリクルート作戦を展開しており、ブラウンは自分の軍事ロケット開発者としの有用性を米軍に売り込んだのである。

 1946年、荒廃したドイツに背を向け、ブラウンはアメリカへと旅立つ。この時35歳である。
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自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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