ゲルマンという言葉は、何やら魔術的な響きを持っている。
昨今でも日本のメディアでは「ゲルマン魂」などという言葉がよく使われる。ドイツの英語表記はGermanyで、これはそのまま「ゲルマンの国」の意であるから、ゲルマン=ドイツと解しても、狭義の語法としてはあながち間違いというわけではないらしい。
この「German」という言葉は元来もう少し広範な概念であった。というのも、ゲルマンという言葉は「ゲルマニアの住人」を意味し、ローマ人による北方諸民族に対する包括的な他称であったからである。別にのちのドイツに当たる地域に限定された言葉ではなく、ローマ文明の北方を脅かす連中を一絡げにした概念であり、その意味で未開と野蛮の象徴のような響きがある。
この言葉がはたしていつ頃からドイツという概念との結びつきを深くしていくのかは定かではない。ただ非ローマ=ゲルマンという公式で捉えるならば、現在のドイツ地域、すなわちライン、ドナウ、エルベ三川に囲まれた領域は、言語の面でも習俗の面でもローマ帝国の影響を受けることが少なかった分だけ、より色濃くゲルマン的な要素を引き継いだ地域であったとは言える。
ちなみにドイツの国名はドイツ語でDeutschland(ドイチェラント)であり、「民族(大衆)の言葉を話す者の国」程度の意味で、早くからこのDeutschという言葉は教養階級の言葉としてのラテン語との対比において「民族(大衆)の言葉」という意味を与えられていた。9世紀にフランク王国が分裂した際、すでに東西フランク王国間の外交文書では西フランク王国の言葉としての原フランス語(もちろんラテン語起源である)、東フランク王国の言葉としての原ドイツ語がすでに併記されていたという。言葉の境界が国境線と、さらにいえば「文明」の境界線と、大体一致していたことが示唆されている。
華やかなだが惰弱な文明としてのローマ、野蛮だが(あるいはそれゆえに)生命力に漲ったゲルマンというイメージの対比は、すでに使用される言葉の位置づけからもその萌芽を見ている。
こうした「高貴な野蛮人」としてのゲルマンのイメージは、近代に入ってからドイツ国民国家形成に大きな役割を果たした。いわゆる「汎ゲルマン主義」だが、ここでいうゲルマン民族とは、「ドイツ語を話す民族」とほぼ同義語であった。いかにも国民国家の時代、19世紀の所産のような言葉だが、このイデオロギーはドイツ統一後も加速し続け、ドイツ帝国の海外伸長政策の理論的基盤となり、ついには第一次大戦という悲劇的な結末を導くことになる。
第一次大戦の敗戦を経験したのちも、このゲルマンという言葉は死に絶えることはなかった。敗戦の辛酸と屈辱の中でグロテスクな発展を遂げたこの言葉は、やがて「高貴なるアーリア人」という奇妙な概念の衣を被り、再び歴史の表舞台に登場する。それを政治プロパガンダに最大限利用したのがヒトラーであった。
ゲルマンという言葉は今でもドイツ人の民族性を象徴する言葉に変わりはないのだが、この国の血塗られた近代史の生臭いにおいが拭い切れていない。そのせいか、現在のドイツではGermanenとかgermanischといった用語を目にする機会は少ないように思われる。
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