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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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ニュルンベルク~ゲルマンの都(1)

 前置きが長くなった。

 いずれにしても、このゲルマンという言葉はドイツという国の深い闇に根を降ろしていて、歴史のしじまから黒い妖気を吸い上げているような不気味なイメージがある。Karte_Deutschland.png
 ニュルンベルクは、そうした「ゲルマン」の負のイメージと、不幸にももっとも強く結び付けられてしまった街である。現在のドイツの中心よりやや南、バイエルン州の北端に位置し、50万の人口を擁する。大都市としての快適さと歴史都市としての重厚さがほどよく調和した、住み心地の良さそうな街である。

 ニュルンベルクの歴史は何より神聖ローマ帝国の歴史と深く結び付いている。この街の旧市街の丘上に聳えるニュルンベルク城は、神聖ローマ帝国のまさに中心部に位置するという地理的条件もあいまって、帝権の伸長と共にその重要性を増していった。

 中世起源の城らしく武骨な雰囲気を残すこの城は、やがてドイツ皇DSCF7303.JPG帝たちの代表的な拠点として発展した。その重要性ゆえ、城下町であるニュルンベルクは1219年、帝国領内で初めて皇帝直轄地として包括的な諸権限を認められることになる。これが後にドイツ全土に適用される「帝国自由都市」のさきがけとなるわけだが、
こうした特権的地位を背景に、14世紀から16世紀にかけて、ニュルンベルクは急速な発展を遂げる。

 302c74a1jpegこの街の重要性を示す一例としてReichskleinodien(左)の保管地としての位置づけがあげられる。神聖ローマ皇帝にも日本の三種の神器と同じく、皇位継承者が受け継ぐ装身具が存在し、戴冠時にはこれらの衣装を身にまとうのが慣例とされていた。ニュルンベルクは15世紀以降この装身具が鎮座する場所として指定され、19世紀にナポレオンの侵攻に際してウィーンへ移転させられるまでその地位を保ち続けた。

 現在の街区はこの街の最盛期であった中世の街並みを基調に戦後再建されたものである。駅を降りて旧市街を見やると、まず石積みの古風な城壁を目の当たりにさせられる。それを越えた内部に伸びる大通りは近代的なショッピング街で、人通りの多い賑やかな通りが続く。ただふっと脇道にそれると、中世の町に迷い込んだかのような瀟洒な街区に出くわしたりする。

 中世の面影を引くドイツの町は、積木細工のようにかわいらしい街DSCF7333.JPG並みを残す町が多い。ただその表情は気まぐれで、天気ひとつで打って変った不気味な雰囲気を醸し出したりもする。どんよりと曇った空の下、鉛色の川にかかる古い石橋、それを縁取る木組みの家屋、葉が落ち切ったにも関わらず妙な存在感を示す黒い木々、人気のない雨のニュルンベルクには、「ゲルマン」という言葉の持つ響きがよく似合う。
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自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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