のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
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ドイツ以外の国の現状はよくわからないが、英語版の中身をパラパラ見る限りではおそらく欧米社会ではどれも似たようなつくりだということは想像できる。 『地球の歩き方』はいわば日本人にとってのガイドブックの「標準規格」なのだが、どうもこれは世界標準―少なくとも欧米標準―とは大きくずれているように思われる。そしてそのことはこのガイドブックが実はきわめて「日本的」な存在なのではないかということを示唆している。
こちらに来てから何度か英語圏からと思しき観光客から切符の買い方について尋ねられることがあった。今から思えば彼らの持っているガイドブックには『切符の買い方』などという項目は存在していなかったのだと思う。ドイツの市内交通の料金システムの特殊さについては以前書いたことがあるが、『地球の歩き方』にはもちろん懇切丁寧な解説が付されているので、私は最初から特に迷うようなことはなかったし、聞く必要もなかった。
交通機関の利用方法からビザ手続き、果ては国際電話のかけ方からインターネット環境までを一冊に凝縮して、かゆい所に手が届く行き届いたサービス精神の体現、それがこのガイドブックだと言える。逆説的な言い方をすれば、それは旅行者の知識、情報収集能力、コミュニケーション能力を過少評価した上で、文字通りどんな素人でも、現地人と一言の会話を交わすこともなしに、観光に興じることを可能にしているわけである。「旅」という言葉の中には多少なりとも苦労や困難、その克服、そして成長、というニュアンスが込められていると思うが、日本人は高水準のガイドブックのおかげで旅に伴う煩わしさから解放され、それを限りなく純粋な「観光」として楽しむことができるようになった。
誰もが利用できる分かりやすくて懇切丁寧なサービスを提供する企業・集団と、それに依存する消費者という構図は、欧米と対比した際の日本社会の大きな特徴であると言えるだろう。この点、コンビニもツアー旅行も間接金融偏重経済も根は同じだと言ってしまってはさすがに極論にすぎるだろうか。
いずれにせよ消費者として生きる時、日本がとてつもなく快適な社会であることは間違いない。そして消費者としての快適さにじわじわとスポイルされて行った時、日本の個人は果たして健全な生活・生存能力を維持できるのかどうか。こちらのいい加減なサービス業の裏で、日々の雑事の中にも自分の頭で考え判断し行動することを要請されている欧米社会の個人の姿を思い浮かべたとき、この懸念は杞憂といって一笑に付すわけにもいかないように思えてくる。古くて新しい「日本の個人主義」論の一環である。
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