ここでルイス・フェルディナント・フォン・プロイセン(Louis Ferdinand von Preußen、1907~1994)という人物が登場する。彼は第一次大戦後のドイツ革命で皇位から追われたホーエンツォレルン家の末裔であり、当時その当主の座を引き継いだばかりであった。1952年、彼は父祖の棺を自らの居城であるドイツ南部ヘッヒンゲンにあるホーエンツォレルン城(右)に引き取った。この城は同家がブランデンブルク辺境伯に任ぜられる以前の居城であり、棺は同家発祥の地において、ようやく流浪の運命から免れることができたのである。
1989年、ベルリンの壁は崩壊し、冷戦は終結した。翌年東西ドイツが統一され、東西間の往来が自由になると、ルイスは王の遺体を遺言どおりポツダムに戻すべきだと考え、実現に向けて奔走した。
そして1991年8月17日、激動の現代ドイツ史に翻弄されたフリードリヒ2世の棺は、盛大な式典とポツダム市民の熱狂的歓迎とに迎えられて、サン・スーシ宮殿の高台に安置された(右は宮殿に向かう大王の棺)。図らずも東西冷戦の終結を象徴する役回りを担わされての帰郷である。
「ベルリンの壁が崩壊したのち、私はこの壁のことを人々の心から消し去りたいとの思いを日増しに強くしていました。この棺がはるかヘッヒンゲンのホーエンツォレルン城からポツダムに旅してきたことは、もはや壁は存在しないということの象徴なのです。」式典に際してのルイスの言葉である。
過剰な演出は王の望むところではなかったとはいえ、ともかくも200年の時を経て、ようやく彼の棺は安息の地を得たのである。「ここにおいて我は無憂のうちに眠りにつく」。王の遺言の一節である。
今、サン・スーシ宮殿のぶどう棚を登りきった右手の台上に、王の墓はある。狭い芝生の上に”Friedrich der Große”と刻まれた石板だけがひっそりと埋め込まれていて、花の代わりに王が普及に努めたジャガイモが数個、雑然と手向けられていた。
うっかりしていると、見落としかねないほどに、質素な墓である。 PR
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