フリードリヒ2世(大王、Friedrich Ⅱ, der Große, 1712~1786)についてはご存じの方も多いはずである。「君主は国家第一の僕」„Der König ist der erste Diener des Staates“の言葉で有名ないわゆる啓蒙専制君主の代表的存在で、プロイセン王国を欧州の一大大国に押し上げ、のちのドイツ統一に向けた国力の素地を築いた人物である。
だが王の望みはかなえられなかった。王位継承者である甥のフリードリヒ・ヴィルヘルム2世(Friedrich Wilhelm II)の手により、大王は先王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世((Friedrich Wilhelm Ⅰ)が眠るポツダム衛戌教会(左)に安置されることとなったのである。大王の威厳を保つためにも、犬と一つ墓の中ということではまずいという配慮が働いたのだろう。
時を経て1943年、第二次大戦の最中、ドイツは敗色が濃厚になっていた。ポツダム教会はフリードリヒ2世父子の遺骸が戦禍に巻き込まれることを恐れ、棺の模造品を作成して本物と密かに置き換えた。王の遺骸はドイツ軍の手によってポツダム近郊の防空壕に移されることになった。
のち、ソ連軍の侵攻の危険が高まるにつれ、棺はさらに安全なドイツ中部のノルドハウゼン(Nordhausen)近郊に移された。王はこの街の近郊の岩塩鉱山で、共に運び込まれた先王、そして同じくソ連軍の侵攻から避難させられてきたワイマール共和国大統領ヒンデンブルク(Paul Ludwig Hans Anton von Beneckendorff und von Hindenburg、1847~1934)夫妻の遺体と共に、まとめて狭い穴の中に埋められ隠されるという、何とも奇妙なめぐり合わせを得る。
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