ポツダムの歴史は意外と古い。文献に具体的な地名が登場するのは10世紀末の神聖ローマ帝国の時代で、町としての歴史はベルリンよりも長いことになる。中世以降小都市として発達を遂げたのち、15世紀以降代々ホーエンツォレルン家の居住地として受け継がれていく。
言うまでもなく、この地を世界的に有名にしたのは、フリードリヒ2世(大王)の治世に建造されたサン・スーシ宮殿である。フランス語で「無憂宮」を意味するこの宮殿は、フリードリヒ2世が王都ベルリンを離れ静かに自らの時間を過ごすために建設したとされる。宮殿内には王に許されたごく近しい人間のみ立ち入ることができたという。
世界史を勉強した人には、階段式のぶどう棚の上に立つ黄色い宮殿は「ロココ様式の代表的建築」という肩書でお馴染みのはずだが、自分も教科書に載っていた写真とともに高校時代のことなどが思い出され、妙に懐かしい気分にさせられた。
黄色や緑をふんだんに使用する建築は日本人の初見には鮮烈にすぎるが、目が慣れてくると不思議と嫌味さが消え、この国の人々の夏の緑と日差しへの憧れが染み透るように伝わってくる。
サン・スーシ宮殿の敷地内には他にもいくつかの巨大な宮殿が点在している。このうち新宮殿はフリードリヒ大王の命によるもので、王の客人が数多く滞在した。
新宮殿の裏手にはポツダム大学がある。この大学はドイツ再統一後に設立された。歴史は浅いが、その立地は最高である。ここの学生は世界に名だたる大宮殿の広大な敷地を庭同然に使えるわけで、学問をする身としてはこれにまさる贅沢はなかなかないだろう。ポツダムは「学者の街」としても高名で、数多くの研究機関が集中している。どう算出したのか知らないが、人口に占める研究者の割合がドイツでもっとも高いと言う。
この日は天候が不安定で、庭園を散策中にわか雨に見舞われた。新宮殿の傍で雨に煙る庭園を眺めながら、この国の世界史的遺産の膨大さを思ったりした。裏の学生たちは毎日この景観を前に物思いに沈む贅沢を享受していることだろう。歴史と自然に培われ洗練された町は、一人ものを考えるには最適の空間である。
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