のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
当時のドイツ人たちのワイマール共和国に対する評価は必ずしも肯定的なものではなかった。とりわけ南部ドイツを中心としてヴェルサイユ条約という屈辱的な講和条約を「勝手に」締結したベルリン政府への反発は根強いものがあった。敗戦の原因を大戦末期にドイツ国内で発生したドイツ革命とそれを起こした社会主義者たちに求めるいわゆる「匕首伝説」(ドイツは背後から味方に匕首で刺されたために第一次大戦に敗北した)も人口に広く膾炙していた。
そうした社会的不満を一つの背景としてナチスが台頭するわけだが、ここでおなじみのナチスの鈎十字党旗に使用された色を思い出してほしい(右)。ドイツ帝国期の国旗と同様、黒白赤の三色が用いられているのである。当初ナチスは「第三帝国(Das Dritte Reich)」の呼称を好んで用いていたように、この政党は「第二帝国」たるドイツ帝国との連続性を強く意識しており、党旗の作成にあたってもいわば「ワイマール」「自由と民主主義」の象徴である黒赤金の三色旗に対するアンチテーゼとしてこの三色を選択したことが読み取れる。そしてこの鈎十字はナチスの権力掌握に合わせて正式にドイツ国旗としての地位を獲得することとなるのである。
ナチの象徴として使用されたことで黒白赤の三色旗の命運は事実上尽きた。敗戦後、ナチスを象徴する文物は厳しく取り締まられることとなったが、もちろんこの黒白赤も例外ではなかった。
こうして1949年の西ドイツ成立に際し、再び黒赤黄の三色旗が国旗として復活することになる。この三色はドイツの激動の近代に翻弄される中、幸運にも汚点なしに自由、統一、民主主義という価値観を一身に背負うようになっていた。(ちなみに東ドイツの国旗も使用された色は同様である(右))。
友人が言うには、現在のように広範に国旗が応援に使われ始めたのは2006年のワールドカップからであるという。それ以前はなんとなく「国家」を強烈に象徴することに対する遠慮があったらしいが、現在の状況を見る限りではそうした感情は「克服」されたようである。
とはいえ、今でもナチ時代に関わるタブーは根強く存在するドイツ社会を考えれば、やはりナチの歴史を背負っていない(むしろアンチテーゼとして否定された)という事実は、この三色旗が社会に広く受容されるのに不可欠な条件だったと言ってよいだろう。その点、我々が日の丸に抱く感情とは明らかな一線を画する。日の丸は気軽に持ち運ぶにしては言い知れようのない歴史の重みを背負わされている。大げさに言えば、掲げる者に日本近代の栄光と罪悪を清濁合わせて飲み込むことを要求する。
シャツや帽子、スカーフやスカートにまで、黒赤金を自在にアレンジして足取り軽くドイツチームの応援に出かける人々の姿を見ながら、そんなことを考えさせられた。
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
COMMENT