のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
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ドイツ近代史がほぼプロイセン史と同義であるという理解は決して間違いではないが、19世紀の統一までの道程に際してプロイセン以外のドイツ諸邦が独立した国際政治上のアクターであったことを押さえておくと、ドイツという国への理解が一段深まる。
1866年の普墺戦争に際してこの黒・赤・金の腕章を用いたのは、同じドイツでも北ドイツのプロイセン王国ではなく、オーストリアに味方した南ドイツ諸国であった。つまりこの三色はプロイセン王国の敵側の象徴として用いられていたのである。
先に述べたとおり、この旗は「自由」と「統一」の意味を持たされている。ここで言う「統一」とはオーストリアも含めた「大ドイツ主義」的な統一の意味である。いずれもビスマルクの「ドイツ帝国」の理念に合致するものではなかった。
その結果、1871年のドイツ帝国成立に際し事実上の国旗として採用されたのはもう一つの三色旗、Schwarz-Weiss-Rot(黒白赤)であった。この旗は普墺戦争後に構築された「北ドイツ連邦」の商旗・戦旗であり、プロイセン王家の象徴である黒と白に、ハンザ同盟の商旗である白・赤を組み合わせたものであると言われる。
と言って黒赤金の三色旗が廃れてしまったわけではない。この三色はドイツ帝国の成立後も相変わらず「自由」と「(大ドイツ主義的)統一」の象徴として、国権主義的なドイツ帝国に対する抵抗、改革の象徴として極右勢力から自由主義者まで様々な陣営に利用され、根強い支持を保ち続けた。
第一次大戦に敗北し、国内の革命騒ぎが収まり、ワイマール共和国として新たな出発を迎えることになったドイツでは、旧来の帝国、国家主義の象徴である国旗を変更すべきだとの意見が強まった。「かつて(ドイツ帝国以前)の自由ドイツの歴史を取り戻そう」との声の下、選ばれたのがこの黒赤黄の三色旗であった。
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