のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
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ドイツ語という言葉が今のご時世はたしてどれだけ役に立つのかー。何らかの理由があってこの言葉を勉強している(させられている)者なら一度は必ず直面させられる課題である。コミュニケーション手段としての有用性という点では英語はもちろん、仏語やスペイン語や中国語と比してメリットがあるとは言い難い。実際ドイツ語を話す人々というのは全世界で一億人程度で、これは実は日本の総人口(つまり日本語を話す人間の数)より少ない。しかも最近のドイツ人はかなり英語ができる。言葉自体の修得の困難さも勘案すると、ますますこの言葉を学ぶことの意義に頭を悩ませざるを得なくなる。
しかし皮膚感覚で言えばドイツ語は英語に次ぎ仏語と肩を並べる「世界言語」としての名声を誇っている。少なくとも私が大学でドイツ語を勉強していた7、8年前まではそうであった。このドイツ語のある種実態とかけ離れた巨大な存在感はどこから来るのか。直感的に考えるならば19世紀末から20世紀初頭にかけてのドイツ語圏における爆発的な学問の隆盛にあるのではと思う。
思いつくままにこの時代のドイツ語圏の学問的巨人たちの名をあげてみる。哲学ではヘーゲル、二―チェ、ヴィトゲンシュタイン、ハイデッガー等々、近現代哲学史はドイツ哲学史とほぼ同義である。心理学はフロイト、ユング、フロムを代表としこれもほぼドイツ産の学問と言ってよい。医学では細菌学のコッホ、X線のレントゲン、社会学は他に比べるとまだ見劣りがするが、それでもマルクス、ウェーバー、シュンペーター等巨人を輩出している。物理学の分野では言うまでもなくアインシュタイン、ハイゼンベルク、プランクをはじめ、相対性理論と量子物理学という現代物理学の二大潮流はいずれもドイツ語圏を起源としている。他にも歴史学の祖ランケ、遺伝の法則でおなじみのメンデル、数学の不完全性定理のゲーデルなど、文字通り枚挙に暇がない。
近代という言葉とともに頭に浮かんで来る学者研究者たちが、驚くべき割合でドイツ語圏出身であることが分かる。戦前のドイツ(語圏)は掛け値なしに世界の学問の中心だったわけである。なるほどこの状況ではおよそ学問を志す者であれば是が非でもドイツ語を学ばねばならないと考えられたとの無理はないだろう。戦前の日本におけるドイツ語人気もこの文脈から考えれば容易に理解できる。ドイツ語はコミュニケーション手段としてではなく、何よりもアカデミズムの言葉としてその地位を確立してきたと言ってよいのではないだろうか。
ドイツが学問のメッカとしての地位を失うのはナチスの台頭と第二次大戦に伴い大量の科学者が流出したからである。のちに彼ら亡命科学者の活躍を通して米国は世界の学問の中心地としての地位を確立した。ドイツ語をバックボーンに持つ人々が近現代の人智の進展にいかに大きく寄与してきたかを感じざるを得ない。
最近は日本の大学でドイツ語を履修する学生の数はますます減少傾向にあるという。前世紀初頭に築き上げられたアカデミズムの象徴としてのドイツ語の威光が、百年の時を経てようやくはっきりと衰え始めたということだろう。ドイツは確かに今でも優れた学問の拠点であるが、世界の中心としての地位は、アメリカに奪われて既に久しい。
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