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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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S・A閣下のベルリン(5)

 青木が大学で政治学の勉強を始めた頃、日本より山県有朋がベルリン視察に訪れる。当時山県は横死した大村益次郎の後任として明治日本の軍制改革を担当することとなり、各国の軍事制度を研究する必要に迫られていたのである。もちろん山県は青木にとって長州閥の先輩に当たる。

 この山県視察団の随員の中に山口藩政府(旧長州藩)の役人がいた。彼は青木が政治学に専門を変更したことを聞き及び、「恣に藩命を変更するとは何事か」と詰問する。答えに窮した青木は「自分は藩命の通り医学を勉強している」と偽り、佐藤や萩原から医学書や人骨資料などを借り受け、それを示しつつ適当な説明をでっちあげて場を凌いだという。

 もっとも後日青木は山県に直接事情を説明し、藩庁に斡旋を請い、その許可を得ることに成功する。そればかりか青木は山県にプロイセンの軍制、国民皆兵制、地方自治制度について解説し、当時の普国外務省の役人に頼んでこれら制度の詳細な講義を依頼し、自ら通訳を務めたりと、熱心に山県の視察活動を支援したのである。山県はこれらの解説に深く聞き入り、大いに感じるところがあり、プロイセンの行政制度全般に対し強い関心を持つに至ったという。

 のちに山県は徴兵令、市町村制、文官任用令など数多くの行政制度の構築に尽力することになるが、それはいずれもプロイセンの制度を主なモデルとしたものである。その意味でこの青木のドイツ知識と熱心な斡旋は山県を通じ明治日本の進路に無視できない影響を与えたといってよい。何より彼の語学力の高さと政治制度に対する感覚の鋭さには脱帽させられる。当時の劣悪な学習環境の中、わずか一年余りで「地方自治」や「国民皆兵」と言った当時の日本では影も形もなかった概念を正確に理解し、またそれを口頭で逐次通訳するだけの能力を身につけていたのは驚嘆に値する。

 山県がベルリンを立ったのち、7月に普仏両国の関係が一気に緊張し、有名なエムス電報事件によって普仏戦争が開始される。

「予は、外国人として、自ら公平の見地に立つことを得るが為めか、将又、身、普国に在るを以て、知らず知らずの間に普国に同情を寄するに至りしが為か、胸中普国の勝利を確信して疑はず。仏国人が自国を以て世界の最大文明国と誇称して憚らざるを憎み、此の際、其の頭に一撃を加ふるは、欧州列国の利益なりとし、密かに両国国交の断絶を祈りし」(『自伝』)

 強烈な反フランス宣言だが、これは青木の反骨精神と軌を一にするものだろう。

 いよいよ開戦が迫った七月十四日の夜、青木は「祝杯をあげよう」と萩原、佐藤の両人を誘ってビール醸造所にでかける。「いったい何のお祝いなのか」と問う萩原に対し、青木は「今度の戦争でプロイセンが勝利し、それがひいては日本の利益にも繋がるから祝うのだ」と言う。

「凡百の学科を修むるに於て、独逸諸邦に優るの国なきは、足下も今日の自己の経験に依て知る所なるべし…今回普国にして勝利を博せば、我国留学生の方針も自ら一変し、続々独逸に留学する者多かるべく、従て、将来日本に於ても、独逸に於ける如き主義正確にして、秩序精密なる学問行はるるに至るべし。是れ、予の喜びに堪へざる所なり。」(『自伝』)

 果たしてこの普仏戦争を境にプロイセンに対する明治政府の関心は一気に高まることになり、それまで英仏米中心に振り分けられていた留学生もドイツに大きく傾いていく。大量に増えた留学生を監督するため、青木は「留学生総代」としての地位を与えられ、彼らの生活や学問の世話、金銭の管理を担当することになる。

 明治初年、まだ無名だった「辺境の小国」に目をつけ、苦労してリスクの高い留学を敢行したという思いがあるだけに、青木の感慨も一塩だったろう。普仏戦争におけるプロイセンの勝利は明治日本の進路変更であったと同時に、青木の人生が高らかに飛躍した瞬間でもあった。

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自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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