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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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議会政治後進国

 先週末以来、民主党の「強行採決」が巷を賑わせている。この臨時国会に限った話でいえば、民主党側が法案数の割に余裕のある会期を設定しなかったことが最大の原因だろう。ましてや政権交代後初の国会であるのだから、予算委や党首討論で首相と議論する時間を十分確保すべきだとする野党側の主張は筋が通っている。

 ただし、これはあくまで55年体制下での国会運営を前提とした際の話である。我々はこの際、もっと素朴な疑問から始めて良い。なぜ国会に「会期」があるのか。なぜ「会期」前に成立しなかった法案は「廃案」となり、次の国会で一から審議し直す必要があるのか。そもそも「強行採決」とは何か。議案に不満を持っているはずの野党が、なぜ「審議拒否」をして議案の議論を放棄するのか。議論を放棄した者を無視して採決をすることが、なにゆえ「強行」なのか。なぜ一つの案件で日程の合意ができないことが、国会全体の審議の停止につながるのか。

 こうした日本の議会政治特有の現象を説明するのは、日本人相手でも相当に骨が折れる。恐らく議会政治先進国の政治家にこれらを合理的に説明するのはほとんど不可能ではないか。日本の議会政治はそれほど世界標準からみると特殊で捻じれた暗黙知の世界を有している。

 国会法の制定経緯については詳しくないが、少なくともこうした国会運営を定着させてきたのは55年体制である。「万年与党」と「万年野党」の存在が固着化する中で、ムラ社会的な均衡の論理によって育まれてきたのが、議論の中身ではなく手続き面で野党の部分的抵抗を可能にするという慣習であった。そして議案を会期末までに綿密なスケジュールに従って処理することを与党に強制する「会期」制度が、これらの慣習に実質的意味を付与した。数に任せた「強硬」で「横暴」な自民党に対して、少数政党が健気に抵抗する姿を国民に示すことで同情を引く、あるいは議案の内容を「議論しない」ことで時間切れに持ち込むという審議拒否・審議引き延ばしの風景が、この民主主義国の「国権の最高機関」のハイライトであり、与野党対立の頂点をなしていた。同じ引き延ばしならせめて米国ばりの議事妨害(Filibuster)でもやればまだ絵にもなろうが、代わりに野党が採用したのは牛歩戦術だった。

 日本は曲がりなりにも100年を超える議会政治の歴史を持つ。その実態がこれかと思うと、情けなくなる。

 極端な話、議会制民主主義においては定期的に実施される選挙の結果においてすでに民意の大方針は示されている。議会に期待されているのはその民意の実現に当たってのより良い法制度作りと執行者たる行政への厳しい監視監督である。手続き面で姑息な策略を駆使することで与党法案の成立を遅らせあるいは時間切れ廃案に追い込むというのは議会制民主主義の自殺行為と言っても良い。国会議員の本職は議会の場で息が切れるまで議案を討議し、議案の問題点を洗い出し、より良い対案を示し、その違いを世論に訴えることにある。それは選挙区で声を涸らすまで有権者の支持を訴えることと同様もしくはそれ以上に重要な使命であるという真っ当な感覚を、55年体制下の国対政治は麻痺させ続けてきた。従って、そうした議論を可能にする国会の制度改革の声も、決して大きくなることはなかった。

 何より病巣が深いのはマスコミが相も変わらず強行採決と審議拒否こそ「国会の華」であるかのような浮かれた報道を垂れ流していることである。「政権交代をしてもやってることは同じなんですね!」としたり顔で語るテレビキャスターやジャーナリストたちは、国会運営の駆け引きこそが政治であるという、55年体制下の歪んだ常識に未だに安住しているのである。

 今この時点で注目すべきは与野党が交代しただけの国対政治の喜劇ではなく、むしろ小沢氏が政権交代後から唱えている国会改革論の内容であろう。小沢氏の依頼を受けて21世紀臨調が作成したとされるこの改革案の内容は、政権交代を機に怠惰な慣行を積み重ねてきた日本の議会政治に新風を吹き込むという点でもっと注目されてよいはずである。マスコミは「官僚答弁」の是非についてばかり関心を向けているが、枝葉末節の問題に過ぎない。多少国会の病巣の本質をわかっている人間であれば、「300日以上の常会会期の導入」「会期不継続原則の廃止」の方がはるかに大きな地殻変動をもたらすであろうことに容易に気がつくはずである。

 現在の国会の問題はその8割が制度と慣習に起因している。国会法という法律一本をうまく改正することさえできれば、比較的柔軟な思考のできる民主党政権の下であれば、がらりと国会の在り方は様変わりし得る。

 恐らく日本の議会政治は90年代に民主化を達成した国々よりも非生産的で非民主的な面が強い。民主主義も議会政治も、その質は制度を採用した古さと決して比例するものではない。そういう「後進国」としての自覚と危機感は、もっと共有されてしかるべきものである。

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三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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