のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
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ドイツの大統領官邸の担当者と一度、元首としての外交の在り方というテーマで話す機会を持ったことがある。
ドイツには大統領がいる。ただ国民から直接投票で選ばれるわけではなく、政治的権力も(ゼロではないが)ほぼ無に等しい。そうした条件の下で如何に大統領としての権威を得、国家の顔として人々の信頼を得ていくかという課題は、決して容易なことではない。現在の大統領であるホルスト・ケーラーは元官僚であり、財務次官からIMF専務理事となった。大統領選が2004年のことで、この時62歳である。保守陣営側の候補者選定が難航した末担ぎ出された感が強かったケーラーだが、その後着実に国民の人気を得、今年5月に再選を果たし、今ではドイツの国家元首としてすっかり定着している。
この大統領という職の舵取りは非常に難しいところがあると思う。一方で国民全体、ドイツ全体の代表として中立的な振る舞いを求められるが、他方で適度に存在感を発揮しなければ、国民から忘却される。ドイツの歴代大統領はもちろんこの機微をよくわきまえていて、時折限られた政治的リソースを駆使しながら、自身の(時に政治的な)主張を発信していく。
テレビで公然と時の政権の政策批判を行ったり、倫理的問題について演説の場を借りて自らの主張を述べたり、憲法上疑義がある法律に対する署名を拒んだりする。共通しているのは、いずれも大統領個々人の(政治的)立場、信念を明らかにすることで、世論の注意を喚起し、権威を築き上げていくという点である。その信念が党派的であるとか非論理的であると受け止められれば、それだけで大統領の権威が失墜するリスクが内包されている。独特の政治的嗅覚とバランス感覚がなければこなせない仕事である。
その大統領官邸の担当者は、「皇室や王室という血統的な元首のあり方と、ドイツの大統領制のように選出される元首のあり方には、もちろんそれぞれの短所長所がある。」と前置きしたうえで、「ただ、5年ごとの選挙により大統領が就任する我が国の制度は、個々の大統領の関心や信念の相違によって、多様な政治や社会の問題に対する世論の注目をダイナミックに喚起できるという利点がある。」と述べていた。非常に的を得た洞察であると思った。
つまるところ、ドイツの大統領制は、基本的に大統領個人と言う生身の人間に依拠する制度であると言ってよい。
その担当者は、そうした人間依存の制度に依拠することのリスクも、同時に認識していたふうであった。
ただ、日本の皇室が極端なまでに政治的存在感を希薄化し、世論を喚起するという行為から厳しく距離を置いていることの意味については、どうやら理解しかねているようで、言外に「日本の皇室は退屈に見える」という気持ちを抱いているように見受けられた。
恐らくドイツ人という民族にとって、戦後日本の天皇制ほど理解の難しい制度はないだろうな、と思った。
以上は、前置きである。
ここ一週間ほど、例の「特例会見」の問題について話題になることが多く、意見を求められる機会が多かった。どうも感情に任せて、あるいは単純な憲法論を持ち出して問題を過大視したり過少評価したりする、上滑りな論調が多いように感じる。
全くの偶然だが、帰国後「皇室」や「天皇」という日本固有の元首制度のあり方について考える機会が多い。有名な「空」の概念や今上陛下の果たされた役割については、以前述べたことがある。それを前提として、少しこの機会に自分としての考えをまとめておきたい。
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