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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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ダボス会議とメルケル演説

 先日スイスの保養地ダボスで恒例の世界経済フォーラムが開催された。ちなみLuftbild_Davos2.jpgにこのダボス会議の創立者クラウス・シュヴァブ(Klaus Schwab)はドイツ生まれである。
 今回の会議には日本からも麻生首相が参加して演説したが、ドイツメディアは相変わらずの黙殺ぶりだった。ある外務省幹部が「政権が不安定な日本との交渉に各国は関心を失っている」などと語ったそうだが、こと欧州では得意の経済政策の分野でも日本の政治家への注目度が低い。先日、同会議に参加するついでにドイツを半日だけ訪れた中国の温家宝首相の扱いがトップニュースだったことを思い返すとやはりさびしい感は否めない。

 さて、ドイツの話である。

3620044347-merkel-wirbt-davos-weltwirtschaftsrat.jpg 今回のダボス会議にはフランスの首脳が参加していないこともあり、メルケル首相はいわばEU、ユーロ圏を代表する立場として会議に参加することになった。今回メルケル首相は会議の開幕演説を担当したが、その中で2、3注目すべき点があったので、簡単に紹介しておきたい。

 一つはドイツ経済政策を貫くキーワードといってもよい「社会的市場経済(Sozialmarktwirtschaft)」の概念を紹介し、この原則には「基本的に世界全体が合意できる」と述べたことである。ただ肝心の「社会的市場経済」の内実については、「国家は社会、経済秩序の番人たるべきだ」といった拍子抜けさせられるほど素朴なもので、首相自身「第三の道と呼んでもよい」と語っている通り、決して新味があるものではない。ただこのドイツ特有の経済政策用語をメルケルが世界の表舞台に持ち出したことにドイツメディアはよほど感じるところがあったらしく、翌日多くの新聞で「メルケルが世界に社会的市場経済を宣伝した」との見出しが躍った。

 二つには世界的に市場経済を監視しコントロールするための「世界経済理事会」を国連に設置すべきだ、と打ちだしたことである。構想自体は年初から少しずつ報道されていたが、大きな国際舞台で表明するのは今回が初めてだと思う。
 具体的にな内容としては、今回の経済危機の教訓を生かすため「持続可能な経済のための憲章」のようなものを作成すること、それを有効なものとするために「経済理事会」のような国際機関を設立する必要性があること、そしてその舞台としては「国連ほど大きな国際的正統性を持つ場所を他に知らない」とする。とりあえずこの「憲章」を作成するため、2月にIMFやWTO、OECD、世界銀行やILOなど経済関連の国際機関の代表をドイツに招聘し、4月のG20経済サミットに向け具体化に努めるという。
 実現すれば戦後最大の国際経済秩序の再編となる可能性がある。国際的な舞台では表向き諸事控え目なドイツ政府がこうした大胆な政策をぶち上げることは結構珍しいのではないだろうか。

 三つ目、これは完全に個人的な関心だが、「第二次大戦後と同様に、現在の危機の後にも国際的な機関、すなわち前述の経済理事会を設立するべきだ」と述べた箇所で、さりげなくしかし用心深く、「この第二次世界大戦の恐るべき結果の後、すなわち我が国の国家社会主義によってもたらされた結果の後で」という一節が織り込まれていたことである。全体の文脈からはむしろ不自然な挿入だが、「その第二次大戦を起こしたのは誰だね?」といった類の嫌味を封殺し、ドイツ政府が過去に対する責任をいついかなる時も忘れていないことを暗黙のうちに世界にアピールしている。いわゆる「過去の克服」について論ずるのはまた機会を別に譲るが、この問題がこういうところにも顔を覗かせていることは、ドイツ政府の姿勢を考える上で示唆に富んでいると思う。

 ざっと読んでみたところでは演説のレトリックにそれほどインパクトがあるものではなく、正直退屈に感じるところもあった。ただ全体を通して現在の経済危機克服に対するドイツ政府のスタンスと政策目標はよく伝わったし、論旨も一貫していた。国連経済理事会創設という目玉も用意されていた。いわば優等生的な演説であったと思う。

davos_09_02.jpg 日本の政府要人の演説は往々にして個々の瑣末な政策をパッチワークのように張り付け羅列しただけの観を呈することが多く、結局何が言いたかったのか印象に残らない場合が少なくない。残念ながら今回の麻生首相の演説はその悪い見本だったように思う。これは政策理念の不在とか指導力の欠如といった根本的な問題もあろうが、それ以上に演説作成における技術的な問題点の方が大きいように感じる。国際舞台での演説であることを意識し、細部を削ってメッセージ性重視の構成にすることは、戦後ドイツの地味な政治文化においてすら最低限の常識なのだと思う。こうした小さな「常識」の積み重ねが恐らく国全体の発信力というものにつながっていくのだと考えると、文化の違いと無下にしてもいられないだろう。

 演説に整った目鼻立ちを与えることなど、実はそんなに大した作業ではない。言葉の専門家を雇う金と役人たちのちょっとした労さえ厭わなければ、日本でも十分可能な話だと思う。
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自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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