かつてフランクフルトは中世以来の長い伝統を誇る街として、ドイツでも指折りの美しい街並みを残していたという。しかしそれらは他のドイツの都市と同様に、第二次大戦の惨禍で徹底的に破壊されてしまう。
こうした街の多くでは旧市街をそのまま復興させる努力が行われた。戦禍にも関わらず現在のドイツで古い雰囲気を残した街が多いのはこうした努力の賜物である。だがフランクフルトでは戦後の復興を急いだため、かつての景観は永遠に失われることになった。先に「日本の地方都市のような景観」と書いたが、戦後復興を焦る中で焼け跡から純近代的な「都市」が発生したという構図は東京をはじめとする日本の大都市とよく似ている。
そんな中旧市街の中心部である市庁舎前はかつての街並みが再現されているのだが、何やらこの一画だけ奇妙に孤立していて、再現されたことの自己主張が強すぎるように思われた。こうした街並みの復興が自然な雰囲気を有するためには、やはり空間としてより大きな規模での広がりが必要になるということであろう。
1949年、この街はドイツ分裂後に西ドイツの首都の最有力候補として名前が挙がった。すでに街では議事堂の建設まで行われていたが、周知のとおりこの座はボンに奪われる。理由は当時の首相アデナウアーの強い意向が働いたためとされる。フランクフルトは社会民主党(SPD)が優位にある都市であり、加えて首相自身がボン近郊の出身だったからと言われている。
中世までの安定感に比べると、栄転の激しい近代と言ってよい。現在のフランクフルトがドイツでも有数の知名度と重要性を持った街であることは変わりない。ただもはやその名に重厚な歴史を誇る帝国自由都市としての響きは薄く、それを肌で感じることのできる寄す処の少ないことは、やはり残念な気がする。
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