日本人なら誰しもが小学生の社会科の授業でポツダムの地名を耳にしたと思う。もちろん先の大戦の日本の陰鬱な描写、その惨憺たる結末と合わせて、である。私の場合、当時よく読んだ歴史漫画でこの言葉が出てくるカットが原爆のキノコ雲の描写であったため、「ポツダム」の音は「無条件降伏」「黙殺」という重々しい語句とともに、終末論的な響きを持って強く記憶に刻まれている。
ポツダムは人口およそ15万人、ベルリンの南西に隣り合って位置する、ブランデンブルク州の州都である(右は市の旗。ちなみにブランデンブルク州はベルリンを取り囲む形で位置する行政州である)。現在ではベルリンの中央部からRE(Regional Express, 地域快速)でわずか20分弱ほどで訪れることができる。
現実のポツダムは、息を呑むほどに美しい。欝蒼とした森林の中に広大な庭園と澄んだ湖沼が点在する、緑豊かで静かな町である(左は航空写真。)。都心部の目抜き通りのBrandenburgerstraße.も小奇麗で品よく活気があり、小都市としてかなりの完成度を誇っていると言ってよい。ただベルリンの郊外ということは当然ながら冷戦期は東ドイツに属していたわけで、今でも街のあちこちが再開発されている。(右は再整備中のニコライ教会の巨大な大聖堂。ちなみに工事現場の天幕にでかでかと商業広告が掲載されるのはドイツではお馴染みの光景。)
ポツダム会談が行われたのは街のやや北の外れに位置するツェツィーリエンホーフ宮殿(Schloß Cecilienhof)においてである。米のトルーマン、英のチャーチル(のちアトリー)、ソ連のスターリンのいわゆる「三巨頭」が集結し、日本への無条件降伏勧告も含め、戦後の欧州、そして世界秩序について会談した。宮殿は新庭園(Neuer Garten)と称する広大な庭園に位置する。庭園は湖に接しており風光明媚なことこの上ない。ベルリン郊外という地理的条件に加え、都心から離れた孤立した立地が要人警護の観点からも至便であったのだろう。
この建物はテューダー様式という英国の建築様式にならったもので、その外観は宮殿というより地方の大地主の屋敷と言った方がイメージにふさわしい。過剰な装飾がなく自然に溶け込んだ素朴なつくりで好感が持てる。新庭園近郊の民家は多く同じ様式にならって建てられており、この界隈はポツダムの中でもとりわけ豊かな情緒に溢れている。
今はいわゆる「古城ホテル」として利用されているこの宮殿の周辺では、夏の休暇を楽しむ観光客たちが和やかに午後のティー・タイムを楽しんでいた。すべては時の移り変わりということであろうが、この屋敷には新世界秩序創造の場としての名声よりも、こちらの光景の方が似つかわしく思えた。
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