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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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帰国決定

 ここ数カ月いろいろと雑務に振り回され、いまいち集中して情報を集めたり日本語の文章を練ったりする気分になれず、結果ずるずると長期間放置してしまった。

 定期的に本ページをのぞいて拙文を読んでくださっている皆さんにはまことに申し訳ないことをしたと思う。この場を借りて心よりお詫び申し上げます。

 急な話になるが、この夏でもって留学を切り上げ、日本に帰ることになった。

 なんやかやで2年もの長期間異国に住んでいると、理由もなく無性に日本が懐かしくなる瞬間が増えてくるが、いざ帰国の日程が具体的な現実として飛び込んでくると、不思議なことに今度はドイツを去ることが非常に寂しく感じられる。語学力が全く不完全な状態にとどまっていることをはじめ、自分はまだ様々な意味においてドイツという国、ヨーロッパという世界を理解し消化しきれていない。こうした半端な状態でこの地を去らねばならないのは、正直忸怩たる思いがする。

 そうした気持ちのせいか、一時期は気に障ることばかりだったように感じたこの国の様々な生身の事物が、今となってどこか郷愁を誘う淡い景色として眼に映るようになってきた。思い返せば入国直後のドイツは未知と新奇さに満ち溢れていて、妙に明るい映像として記憶に刻まれている。季節は同じだが今の自分の眼に映るのはいわば光衰えゆく秋さびた風景である。

 自分は秋は嫌いな方ではない。ただそうした時の移ろいを思う時、この国で過ごす残りの一日一日を丁寧に磨きあげていかねば、との思いを日々新たにさせられている。

 このブログの扱いをどうするかについても考えた。本来の趣旨からすればこれを機に閉鎖するのが筋かもしれないが、自分の怠け癖とリサーチ力の低さのせいで、実は書きたいと思って書けなかったネタがまだ山ほどあり、その意味でこのブログ自体も到底自分のドイツ・ヨーロッパに対する考えをまとめられているとは言えず、非常に中途半端な形にとどまってしまっている。また帰国したら最後、かなり忙しい毎日になることが予想されているので、おそらく強い意志で問題意識を継続していかない限りはドイツやドイツ語とのつながりや関心も日常に埋もれ知らず知らずのうちに消失していくだろう。それはさすがにもったいない。

 初志を貫徹するという意味でも、ドイツへの関心を維持するという意味でも、定期的にこのブログを更新することをノルマとして自分に課すことは決して無意味なことではない。また一端日本に帰国してから改めて気づかされるドイツの特質というものもあろう。それはまたかつての独国帰りの先輩達の感情を違った意味でなぞることでもある。結局そういう結論に至った。

 ということで、ぐだぐだと御託を並べましたが、とりあえず自分の納得できるところまで、帰国後もこのブログを続けていくことにしました。
 おそらく更新頻度、情報量、質、すべての面でドイツ時代より不十分なものとなるでしょうが、今後とも「独国雑感」を楽しんでいただけると幸いです。

Ein Japaner 拝
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機内にて

 ドイツへの航路は、成田出発後に一気に日本列島の最北端まで北上し、そこから広大なシベリア原野の上を通過して向かうこととなる。こちらを昼に立つと地球の自転とは反対方向に飛行機が飛ぶため、飛行機の外は常に明るい。

 機内ではドイツ映画「善き人のためのソナタ」を見る。原題は〟Das Leben der Anderen"アカデミー賞外国語映画賞を受賞し日本でも結構名前が知られている。ドイツ映画は構成が骨太でスジがはっきりしているというのが個人的な印象だが、この映画もまさにそういう意味でドイツ的だ。主人公の最後の言葉“Nein, das ist fur mich.” などは、耐え難いほど露骨な演出だと感じる人もいるはずだが、個人的には映画の解釈を無責任に観客に投げ出そうとしない真っ向勝負の姿勢には好感を持てた。

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 現地時間の夕刻にフランクフルトに着く。ベルリンまでのフライトにはまだ時間があったので、国内線の乗り換え待ちの間、ドイツ初めてのビールを口にする。軽めの銘柄だったが、まずまずうまかった。

出発

 出国準備と入国後の生活構築に追われ長らく更新できなかった。

DSCF5541.JPG 出国前、数多くの友人、知人と会って話をした。皆さまざまに気を使い、温かな言葉で自分を励ましてくれた。実に多くの人々に勇気と自信を与えてもらったものだと思う。これだけ多くの知人、友人達の温かな気持ちに触れることができるのは、今回が最初で最後かもしれない。皆の期待を裏切らぬためにも、現地でしっかり自己研鑽に努めたい。
 フランクフルト経由でベルリンに向かう。成田からフランクフルトまでは12時間。明治の留学生は現地到着まで約1ヶ月半を要した。現代は地球が著しく縮小している。


ドイツへ

 日の光もいよいよその鋭さを増し、ひしひしと夏の気配が感じられるこの時節。実家の田植えもそろそろ始まるころだろうか。
 今月の末、私はドイツに行くことになっている。
 海外には1、2回旅行で行ったきりで、それも各々一週間程度で、欧州に足を踏み入れたことはない。今回の滞在は最低、2年間となる予定だ。
 右も左もわからないままに、あたふたと準備を進めているうちに、気がつくと渡航まで一月足らずになってしまった。人生の歯車は常に想定以上に速く回転する。田舎から東京に上ってきたのがついこの間のことのように思われるが、それももう7年も昔のこと。次はいよいよ、本格的に日本の外に足を踏み出す。期待と不安が半々、といったところか。

acf22188.jpeg日本人の眼から見ると、ドイツは重厚で蒼古としたイメージがある。それは近代に幕を開いた日独交流の歴史と無関係ではない。かつて、明治の時代、日本政府は数多くの人材をドイツに送り出し、そこから文明を学ぼうとした。実際彼ら明治の留学生達は、近代国家としての仕組み、そして世界を把握する技法の多くをドイツから持ち帰り、近代日本建設の糧とした。それは憲法に始まり、軍事、医学、哲学など多岐にわたって、戦前の日本を支える支柱となった。

 今は、もちろん時代が違う。現代日本におけるドイツの存在感は圧倒的に低下している。大学でドイツ語を第二外国語に選択する学生の数は一貫して減少傾向にある。それに日本は押しも押されもせぬ世界の先進国であり、もはや一方的に西欧から文明を受容吸収するだけの存在ではない。

 まして高度な情報化社会である今日、一人の学生風情がドイツに住み着いたところで、そこから持ち帰れるものなどたかが知れている。明治の留学生たちが背負った浪漫は、やはり遠い過去の物語である。しかし、100年以上の昔はるかドイツを訪れ、新知識の取得に慣れぬ異国の地で必死の思いで取り組んでいたであろう諸先輩の姿を頭に思い浮かべる時、その真似事なりとも試みて、少し彼らの思いを偲んでみたいという気持ちにかられた。それが、このブログを立ち上げた主たる動機である。

 ドイツも変わった。もちろん日本も変わった。その中で、まだあまり意識されるところのない、新しい発見があるかもしれない。それをわかりやすく日本に伝えることができるかもしれない。これはそれ自体新鮮な刺激のあふれる作業であるし、また異国で自分を見失わないためにも大切なことだと思う。

 とりあえずはこういう気持で、心ゆくままにページを綴って行きたいと思います。どうか末永くよろしくお願いします。


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HN:
Ein Japaner
性別:
男性
職業:
趣味:
読書、旅行
自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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