のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
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日の光もいよいよその鋭さを増し、ひしひしと夏の気配が感じられるこの時節。実家の田植えもそろそろ始まるころだろうか。
今月の末、私はドイツに行くことになっている。
海外には1、2回旅行で行ったきりで、それも各々一週間程度で、欧州に足を踏み入れたことはない。今回の滞在は最低、2年間となる予定だ。
右も左もわからないままに、あたふたと準備を進めているうちに、気がつくと渡航まで一月足らずになってしまった。人生の歯車は常に想定以上に速く回転する。田舎から東京に上ってきたのがついこの間のことのように思われるが、それももう7年も昔のこと。次はいよいよ、本格的に日本の外に足を踏み出す。期待と不安が半々、といったところか。
日本人の眼から見ると、ドイツは重厚で蒼古としたイメージがある。それは近代に幕を開いた日独交流の歴史と無関係ではない。かつて、明治の時代、日本政府は数多くの人材をドイツに送り出し、そこから文明を学ぼうとした。実際彼ら明治の留学生達は、近代国家としての仕組み、そして世界を把握する技法の多くをドイツから持ち帰り、近代日本建設の糧とした。それは憲法に始まり、軍事、医学、哲学など多岐にわたって、戦前の日本を支える支柱となった。
今は、もちろん時代が違う。現代日本におけるドイツの存在感は圧倒的に低下している。大学でドイツ語を第二外国語に選択する学生の数は一貫して減少傾向にある。それに日本は押しも押されもせぬ世界の先進国であり、もはや一方的に西欧から文明を受容吸収するだけの存在ではない。
まして高度な情報化社会である今日、一人の学生風情がドイツに住み着いたところで、そこから持ち帰れるものなどたかが知れている。明治の留学生たちが背負った浪漫は、やはり遠い過去の物語である。しかし、100年以上の昔はるかドイツを訪れ、新知識の取得に慣れぬ異国の地で必死の思いで取り組んでいたであろう諸先輩の姿を頭に思い浮かべる時、その真似事なりとも試みて、少し彼らの思いを偲んでみたいという気持ちにかられた。それが、このブログを立ち上げた主たる動機である。
ドイツも変わった。もちろん日本も変わった。その中で、まだあまり意識されるところのない、新しい発見があるかもしれない。それをわかりやすく日本に伝えることができるかもしれない。これはそれ自体新鮮な刺激のあふれる作業であるし、また異国で自分を見失わないためにも大切なことだと思う。
とりあえずはこういう気持で、心ゆくままにページを綴って行きたいと思います。どうか末永くよろしくお願いします。
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