のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
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以下、Yaoonewsの記事。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101121-00000001-mai-soci
自分も氷川台近辺の住人なので、こうした記事が出るとある意味ショックではある。
数か月前、既に死亡していたはずの独居老人に年金が振り込まれ続けていたことが一種の社会問題としてとりあげられていたことがあった。普段は日本のニュースなど見向きもしないドイツメディアがこの話を取り上げていたのを見て、軽い驚きを覚えたことを記憶している。
政治行政の能力に限界はある。現在の市町村の民生委員をはじめ、末端の職員たちがどれだけ多くの負担を背負わされているかにについては、大いに理解しているつもりである。この責任をすべて政治行政に帰するというのはあまりにも酷だろう。むしろ、戦後という時代の中で無邪気に提示されてきた社会モデルの矛盾が、ここに至って生々しい形で提起され始めたと言うのが妥当な解釈だと思う。
都市部において今後累次の事案はどんどん増えていくことになるだろう。個人主義を至上の価値ととらえ、共同体を解体し、家という価値を蔑視し、個人が個人としての幸せを最大化することを人生の意義と規定した戦後民主主義の価値を貫く以上、これは避けられない結末である。
問題はそうした価値観の解体に対応してしかるべきセーフティネットを整えること見過してきた政治、それを許してきた国民にある。
「腐り行く肢体」は、我々が今後100年、200年の長期にわたり対処し続けなければならない最大の課題を端的に示している。ワイドショー的な情緒的な忌避的感、安易な責任転嫁で片づけて済む話ではない。
政治行政においては財政負担のあり方を含め、生々しい議論を避けない覚悟こそが求められる。リアルな「金」の流れを軸とした受益と負担の議論なくして、今後の社会保障制度、高齢者福祉問題の全体像は描くこことはできない。どうか、そこから逃げない、目をそむけない、建設的な議論の進展を望みたい。
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