のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
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先月11日の午後2時46分、私は職場で激しい横揺れにみまわれた。ちょうど上司と一緒に外の会議に出かける予定があり、その出際の出来事であった。普段は豪胆沈着な上司が、車中で震源地が東北と聞き、一瞬驚いた表情を浮かべ、「原発は大丈夫かな」と一言つぶやいた。到着した先でも強い余震が2度3度と続き、会議は短時間で切り上げられた。窓外では禿銀杏が余震に大きく左右に揺さぶられていた。
オフィスに戻った時、NHKでは仙台名取川を逆流して田畑と家屋を呑みこんでいく真っ黒な津波の画像をライブで流していた。別の業務に追われていた同僚がふとテレビ画面に目をやり、唖然とした表情で「これ、何?津波?」と、ぽかんと口を開けたまま、固まった。
しばらくして、画面は茨城大洗町沖の大渦を映し出した。渦は既に泥色に濁りきった海面にくっきりと幾重もの白波をあしらい、そこが海上なのかどうかも一瞥して判別しがたい有様だった。渦に翻弄され一隻の船舶が力なく、泥流の任せるまま舵を失って虚ろに旋回していた。
危機は、人間と組織の本質を、非情なまでに率直な形で明らかにする。この3週間、この国で見られた種々の出来事は、今の日本と言う国家の生身の姿を、文字通り白日の下に曝け出したように思える。
東電本社に怒鳴り込んだ首相、連日不眠不休でマスコミの前に身を曝す官房長官、外国メディアに賞賛される「冷静沈着」な被災地市民、NZから「今度は我々が」と乗り込んだ緊急救助隊、3号炉冷却放水に飛び立つ自衛隊CHー47、三陸沖に展開する空母ロナルド・レーガンを筆頭とする在日米軍大艦隊、東京消防庁の記者会見、陛下のお言葉、次々と東京から撤退する各国大使館、事故3週間後初めて入院した社長の代わりにマスコミの前に立つ東電会長、これら諸々の出来事、いずれもがこの国の人間と組織の在り方を考えるにあたって、極めて貴重な経験を提供してくれたことは間違いない。
今この瞬間において、皆が一刻を争う目前の課題に集中し、持てる力を傾注せざるを得ないことは、当然である。
しかし目前の課題の膨大さに圧倒されるあまり、今回の危機を学びの糧としたうえで、この国の中長期的な在り方のビジョンについて確固たる青写真を描くこともできないまま、なし崩しに「支援」「復旧」「復興」のプロセスを進めていくことになったとすれば、どうなるか。
いざ大義と興奮の「危機の季節」が去った後、より冷酷な形で、兼ねてよりの懸案を何も解決することのできていない殺風景なこの国の現実を、一年、二年遅れの時間差で痛感させられることとなるのは、火を見るよりも明らかである。
今こそ、私たちはこの危機を真摯に学び、この危機がもたらした「機会の窓」を、貪欲に活用するだけの強かさを示させねばならない。
「一億総懺悔」の世相なくして戦後日本はありえなかっただろう。今回の事態を戦後直後になぞらえるならば、単にこれを「想定外の天変地異だ」と片づけるのではなく、それに直面して明らかとなったこの国の人と組織の在り方、その問題点を、客観冷静な目で分析検討し、国民的な議論の下で、復興後の日本の在り方に組み込み、実現して行く必要がある。
そうして初めて、この悲劇の「体験」は、この国の新しい未来を拓くための「教訓」として、その光を帯び、鈍く永い輝きを放つことができる。
そうして初めて、この「危機」は、新生日本を形作るための「転機」だったとして、新しい歴史的意味を刻まれることとなる。
そして恐らくそれのみが、今次災害で失われた3万近い方々の御霊を慰めるために、私たち生かされた者たちが捧げることのできる、最大の弔辞なのではないかと、私は信じている。
昨年から「年末スペシャルドラマ」としてNHKで放映中の「坂の上の雲」。単純にドラマとして見ても、よくできてるなあーと感心させられます。完成度が高いです。
先週とうとう子規が死んでしまいましたが、原作ではこれは単行本全8巻中、3巻の冒頭あたりです。司馬自身がこの子規が死んだ次章の冒頭、「この小説をどう書こうかということを、まだ悩んでいる」として、このあたりからこの作品は「青年群像劇」的な性格から大きく旋回を始め、司馬流「軍記物語」的な性格を色濃くして行きます。満州戦場におけるロシア陸軍との対決などはあまりに個々の戦闘の解説描写が詳細すぎて、もはや「小説」とは言えないシロモノになって行きます。
これはドラマ化する側にとってはかなりの難関でしょう。今までの世界観を壊さないためには、原作の記述を思い切って切り捨てつつ、あくまで秋山兄弟を中心に、ドラマ独自の味付けをどんどん増やしていく必要があります。製作陣の力量がいよいよ本格的に試されるフェーズに入ってきたと言えるでしょう。
それはそうと、私みたいな人間が普通に見てるとやはりだめですね。ボロボロ涙が流れてきてとまりません(笑)。ええ時代やなあ、こんな時代が日本にもあったんやなあという思いを抱かずにはいられません。
どれだけ史実に忠実であるかという議論はさておき、私にとっての「明治」のイメージは「坂の上の雲」をはじめとする司馬作品に負うところが非常に大きいです。司馬は明治という時代を表現するときによく「楽観主義」「オプティミズム」という言葉を使います。それは実際の生活水準、国民所得や平均寿命という客観的経済指標の問題ではなく、文字通り時代の空気として、多くの人間が、ある意味根拠のない、しかし空気のように実在する「未来への期待」を持って生きることができた時代ということであり、その意味で幸福を感じることができた時代ということなのだと思います。
職場の上司の話を聞いていても、50代、60代の幹部達というのはなんとなくネアカな人たちが多いように思われます。彼らの無邪気な語り口はやはり高度経済成長という楽天主義の時代に生きた世代ならではのものがあるように思えます。時に「お前らが日本をだめにしたんだぞ!?」とその危機感と責任感のなさにイラっとさせられることもありますが、一面、未来を明るいものと信じられる時代に生まれた彼らを羨ましく思うこともしばしばです。
あくまで私の印象論ですが、少なくとも今の日本がそういう意味で「坂の上の雲」を信じて無邪気に上へ上へと進んで行けるような時代ではなくなっていることは確かだと思います。どちらかというと、なんとなく皆が未来への不安を共有しながらも、妙な諦念と開き直りを盾に現実から目をそむけつつ、次第に闇を増す緩やかな下り坂を、ゆっくりと下って行くような風景のように見えてしまいます。
毎週毎週「生まれる時代を間違えた!」と歯ぎしりすることしきりですが(笑)、そういう明治の先人たちの夢と努力と犠牲の積み重ねの上に今の日本という国がある、決してこのまま朽ちるに任せてよいものではないと、自分を納得させる毎日です。
土砂降りの中、目をこらして雲の切れ間を必死で探しつつ、足場の悪い胸突き坂を何度も転んで泥まみれになりながらよじ上っていく。
それならまだ、絵にならないこともないと思います。
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