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望雲録

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

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大王の棺(1)

 歴史上の大人物というものは、時としてその死後においてまで、興味深い逸話を残すものらしい。7002417cjpeg
 フリードリヒ2世(大王、Friedrich Ⅱ, der Große, 1712~1786)についてはご存じの方も多いはずである。「君主は国家第一の僕」„Der König ist der erste Diener des Staates“の言葉で有名ないわゆる啓蒙専制君主の代表的存在で、プロイセン王国を欧州の一大大国に押し上げ、のちのドイツ統一に向けた国力の素地を築いた人物である。
 王はサン・スーシ宮殿の居室で、椅子に腰かけたまま眠るように息を引き取った。王は過大な葬儀を避け、ごく数人の随行のみで葬儀を執り行うように命じ、自らの遺体については、自らの愛した宮殿の台座に王の愛犬とともに埋葬するように遺言していた。
1113e934jpeg    だが王の望みはかなえられなかった。王位継承者である甥のフリードリヒ・ヴィルヘルム2世(Friedrich Wilhelm II)の手により、大王は先王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世((Friedrich Wilhelm Ⅰ)が眠るポツダム衛戌教会(左)に安置されることとなったのである。大王の威厳を保つためにも、犬と一つ墓の中ということではまずいという配慮が働いたのだろう。
 
 時を経て1943年、第二次大戦の最中、ドイツは敗色が濃厚になっていた。ポツダム教会はフリードリヒ2世父子の遺骸が戦禍に巻き込まれることを恐れ、棺の模造品を作成して本物と密かに置き換えた。王の遺骸はドイツ軍の手によってポツダム近郊の防空壕に移されることになった。
 のち、ソ連軍の侵攻の危険が高まるにつれ、棺はさらに安全なドイツ中部のノルドハウゼン(Nordhausen)近郊に移された。王はこの街の近郊の岩塩鉱山で、共に運び込まれた先王、そして同じくソ連軍の侵攻から避難させられてきたワイマール共和国大統領ヒンデンブルク(Paul Ludwig Hans Anton von Beneckendorff und von Hindenburg、1847~1934)夫妻の遺体と共に、まとめて狭い穴の中に埋められ隠されるという、何とも奇妙なめぐり合わせを得る。
 marburg.jpg
 間もなくドイツは降伏し、同地域を占領した米軍の手によって、棺はあえなく発見された。幸いというべきか、これらの棺はまとめて同国の占領地、ドイツ西部ヘッセン州のマールブルクに移され、王家に縁のあったエリザベス教会(右は同教会の安置所)に安置されることになった。
 時代はそのまま冷戦へと突入する。ポツダムはソ連の占領下にあり、1949年にはドイツ民主共和国が成立したため、西側陣営に引き取られた王の遺骸は帰る場所を失うことになったのである。
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自己紹介:
三度の飯より政治談議が好きな30間近の不平分子。播州の片田舎出身。司馬遼太郎の熱狂的愛読者で歴史好き。ドイツ滞在経験があり、大のビール党。
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