のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
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渡航までにはまだ時間があるので、ドイツ留学の経験がある著名な日本人の足跡を簡単におさらいしておきたい。
前回の記事にも書いたが、旧帝国陸軍はドイツ軍制を模範としてその導入に努めた。この方面での有名どころは、川上操六、桂太郎、乃木希典、石原莞爾など。ちなみに「舞姫」のためにこの時代のドイツ留学生の中で最も知られている森鴎外の渡独も、陸軍軍医として医学を学ぶためであった。
医学で言えば鴎外とともに当時の細菌学の世界的権威、コッホに師事した北里柴三郎、その内務省衛生局における先輩にあたる後藤新平がいる。近年その民政家としての歴史的評価が高まっている後藤も、当初は医師としての留学であり、ミュンヘン大学で博士号を取得している。
理系という括りならば、物理学者の長岡半太郎、ノーベル賞受賞の量子物理学者の朝永振一郎などがあげられる。また、『武士道」で有名な新渡戸稲造は、ジョンズ・ホプキンス大学からボン大学にうつり、ここで4年間農政学を研究している。
法律関係の留学も盛んであった。明治憲法がプロイセン・オーストリアに留学した伊藤博文らにより当時のプロイセン憲法を範として策定されたことを皮切りに、穂積陳重、八束兄弟、そして八束の後継者である「高天原憲法」の上杉慎吉、天皇機関説の美濃部達吉。いずれもドイツ留学組であり、とりわけ公法分野におけるドイツの影響力の強さが表れている。
芸術面で言うとやはり音楽が強い。「荒城の月」の滝廉太郎、日本オーケストラのパイオニアといえる山田耕筰や近衛秀麿もドイツ留学を経験している。絵画は相対的に少ないように思えるが、『道』(左画像)で有名な東山魁夷はベルリン留学の経験がある。個人的に非常に好きな画家である。
哲学面では田辺元、九鬼周造、三木清、和辻哲郎など、ハイデッガー全盛期のドイツ哲学を享受した層が手厚い。その他、外交官として高名な青木周蔵、幕末志士の品川弥二朗などもドイツ経験がある。
キリがないのでこの辺りでやめるが、少なくとも戦前期においては、かなり想像に忠実な学問分野の摂取が行われていたと考えてよいのではないだろうか。
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COMMENT
無題
上の人々と同じようにみんなが思い出すような立派な人になってかえってきてください。
無題
無題
私も太平洋の向こう側にある海洋帝国に渡る一学生として、こちらのブログにも時々足を運びたいと思います。
無題